「“死球”を与えた投手や監督が相手チームに謝罪」はなぜ増えたのか 死球に泣いたレジェンド打者が明かす「令和のプロ野球で謝罪が目立つ」理由
死球に泣いた広澤氏
野球評論家の広澤克実氏は1984年のドラフト会議で日ハム、西武、ヤクルトから1位指名され、抽選の結果、ヤクルトに入団した。 広澤氏はヤクルト(1985~1994)、巨人(1995~1999)、阪神(2000~2003)と3球団で活躍。昭和と平成の野球を熟知しているほか、通算306本塁打という輝かしい記録の他にも死球に関する“奇縁”を持つ。 実は広澤氏、1986年10月から95年10月にかけて、1180試合に連続出場という記録を樹立している。プロ野球史上6位にランキングされているほどの記録だが、連続出場が途切れた原因が死球だったのだ。1996年3月22日に行われた西武とのオープン戦で、死球を受けて右手を骨折。開幕戦の出場が絶望的となり、全国紙やスポーツ紙が「記録が止まる」と詳報した。 広澤氏は「確かにNPBで死球が出ると、投手や監督が謝罪を行うことが増えています。この問題を考えるためには、誰が何のために謝っているのかという視点が重要でしょう」と指摘する。 「私がプレーしていた時、死球を与えた投手が打者に謝罪するなどということは全く行われませんでした。なぜなら、打者は一塁に進塁できるからです。この時点で打者は利益を、投手はペナルティを与えられています。加えて、そもそもの問題として、どんな打者だって、投手がわざと死球を与えたわけではないことはよく知っています」
野村監督と長嶋監督のリアクション
頭部など危険な死球では、昭和のプロ野球でも投手が謝ることはあった。とはいえ、マウンド上で帽子を取るぐらいであり、試合後に改めて謝罪するということはなかった。ちなみに広澤氏の連続試合出場記録が止まった原因となったオープン戦の死球では、西武の投手は帽子を取って謝ったそうだ。 広澤氏はヤクルトで野村克也氏、巨人で長嶋茂雄氏、阪神で星野仙一氏という“名将”の指揮下でプレーした。野村、長嶋の両氏は打者出身、星野氏は投手出身の監督である。その違いは、各監督の“死球観”にも影響を与えていたという。 「自軍の打者に死球を当てられても、野村監督や長嶋監督は怒ったり、抗議したりすることはありませんでした。お二人とも現役時代に多くの死球を当てられ、それに対処しながら強打者として活躍したからでしょう。一方、星野監督は、自軍の打者に死球を当てられると怒っていました。ただ、抗議するということはなく、『星野監督が怒っている』という雰囲気を上手に出していました。今思えば、相手の投手や首脳陣をけん制するために怒ったふりをしていたのかもしれません」(同・広澤氏) ちなみに野村氏は通算657本の本塁打を放ち、被死球は122。長嶋氏は444本塁打で、被死球は43。一方の広澤氏は306本と40──という具合だ。また星野氏の与死球は、通算で82という記録が残っている。