なぜソフトバンク東浜は「信じられない」ノーノー偉業を達成したのか…”愛妻”甲斐の存在と亜大”伝統”シンカー
実はノーヒットノーランは、中学時代に一度経験しているが、春のセンバツ甲子園で優勝投手となった沖縄尚学高時代も、リーグ戦のタイトルを総なめにした亜細亜大時代も、「未遂はあったがなかなかできずに難しいものと思っていた」という。 「狙ってできるものではない。野球人生の中で、そうできることのないこと。それをプロ野球の世界でできた。今後の自分の自信になるし、もっともっと上へいきたいと向上心も出てきている。うれしいですね」 2012年のドラフトで、ソフトバンク、西武、横浜DeNAの3球団に1位指名を受けて競合の末、ソフトバンクのユニホームを着た東浜は、プロ10年目のシーズンになぜノーノーを達成できたのか。 「ストライク先行で、どんどんいって、打線もすごく調子がいいので、いい形で攻撃につなげていこうという思いで、毎イニング上がっていました。思ったよりも変化球が操れていた。要所、要所で真っ直ぐをしっかりと投げられて、それがよかったのかな。特にストライクゾーンで勝負できたのが大きい」というのが東浜の自己診断。 97球の球数が象徴するように、ストライクを先行させ、シンカー、カット、カーブという持ち球をすべて低めのゾーンに集めた。藤本監督も、「コントロールも良く、真っ直ぐ、シンカーというところが良かった。ボールも低くきていたのでなかなか西武打線もタイミングがあわなかったんじゃないか」と、東浜の大記録を総括した。 27個のアウトのうち、実に内野ゴロが14個。三振が6個、内野フライ(ファウル含む)・ライナーが4つ、外野に飛んだのはわずかに一つ。3回の柘植のセンターフライだけだ。いかに変化球が、低めに集まり、最速150キロのストレートで押し込んでいたのかがわかる。 四球は2つ出したが、いずれも併殺で切り抜けた。2回一死から中村を四球で歩かせたが、続く栗山をシンカーでタイミングを崩して6-4-3の併殺打。5回に先頭の山川にストレートの四球を与えたが、中村を外角のストレートで押し込んだ。また6-4-3。 東浜は「四球を2つ出したときにゲッツーをとれたり、そういう要素が重なった。すべてがいいように働いたかな」と言う。大記録は、あらゆる条件が重なったときに生まれるものだ。 記録がストップしかねないピンチが6回に2度あった。先頭の柘植をカットボールで打ち取ったが、ボテボテの三塁へのゴロ。猛ダッシュしてリチャードがアウトにしたが、このファインプレーがなければ、内野安打として記録されただろう。 続く愛斗のピッチャー返しも、大きなバウンドを東浜がジャンプしてつかみとった。 「自然と体が反応した。僕が捕っていなくてもセカンドが捕っていると思うが」と振り返るが、自らの好守でノーノーを守った。そのイニングを終え、ひとつアウトを取るごとに、ドームの拍手や歓声が徐々に大きくなっていく。東浜も「意識したくなかったんですが、じわじわと実感しながら投げることができた」と振り返った。