彬子女王殿下がエッセイで語る、日本文化の美しさの本質
もてなしの心が息づく喫茶店の文化
著者は、昔ながらのレトロな感じの喫茶店が好きだという。そして、喫茶店は「日本が世界に誇るべき文化」であるとも。 意外にも、そうした雰囲気を持つ喫茶店は、海外では見かけないそうだ。実際に深堀りして調べた結果、これは「日本独特」なものであるという結論を得るに至る。 そもそも、日本の庶民が珈琲を飲むようになったのは、明治時代に入ってしばらくしてからのこと。日本初の喫茶店は「可否茶館(かひさかん)」という屋号で、明治21年の開業。ビリヤード台やシャワー室まで備えた、一種の複合レジャー施設だったそうだ。 現代の我々が、レトロ喫茶などと呼ぶスタイルができあがったのは、1950年代だという。日本人と珈琲の関係について、次のように論が展開される。 <効率化を追求し、大量生産・大量消費があたりまえの戦後の世の中にあっても、ドリップやサイフォンで一杯ずつ珈琲を淹れるスタイルが残り続けた。これはお客様一人ひとりのために時間をかけ、心を込めてお茶を点てる・淹れるという、茶の湯や煎茶の持つもてなしの精神と結び付くものがあるに違いない。(本書195pより)> この精神は、外国の人たちにある種の感銘を与えたようだ。アメリカやドイツでは、日本スタイルの喫茶店が最近増えているそうで、珈琲文化を学びに訪日する熱心な人もいるくらい。かつての日本人は、シルクロード経由で海外の文化を採り入れ、一部は正倉院の宝物として今に残る。著者は、珈琲文化をして「今度は正倉院の宝物が逆のルートを辿る」と表現している。
技術が継承される「あたたかなひととき」
伝統技術の後継者不足が叫ばれて久しい。 後を継ぐ者が欠けたまま、そうした仕事を続けている人を、著者は「最後の職人」と呼ぶ。 その1人として本書が取り上げるのは、富山市の四津谷敬一さん。烏帽子を作り続けて約半世紀のベテランだ。 烏帽子の主な素材は和紙。100~150年前の和紙が軽くて丈夫ということで、四津谷さんは、古本屋や骨董市で集めた古紙を大量にストックしている。 著者は、四津谷さんの工房を訪れ、烏帽子作りの様子を描写する。 <糊とこてを使って接着し、錐(きり)を使って上手にしわを寄せていくと、見る見るうちに見慣れた烏帽子の形になっていく。普段は穏やかな表情の四津谷さんも、作業をされているときは鋭い職人の顔になる。何の変哲もない、本来は捨てられていたかもしれない1枚の和紙が、一人の職人の手によって姿を変え、命が吹き込まれていく。(本書224~225pより)> 著者の「最後の職人」を見るまなざしが優しい。それは研究者というよりも、ものが創られるかけがえのない時を共有する詩人のようでもある。 この出会いから数年後、老職人は「風のように旅立たれた」。今は、ただ一人の弟子であった若い男性が烏帽子作りを継承している。このようにして伝統が残される瞬間は、「あたたかなひととき」なのだという。さらには、ある神職者の言葉を引き合いに、残るべきものであるなら「神様が微笑んでくださる」とも記す。このようにして、新しい時代が紡ぎ出されていくのだろう。 * * * 瑞々しい感性に裏打ちされた54篇のエッセイが収録されている本書は、筆者の浅薄な知識を上書きし、あらたな視点をもたらす玉手箱のような存在であった。日本の文化と美に関心をもつ、全ての方に読んでほしいと素直に思う1冊である。 【今日の教養を高める1冊】 『日本美のこころ』 彬子女王著 定価1210円 小学館 文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagramに掲載している。
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