追悼 谷川俊太郎さん「仕事に追われて“レモンの搾りかす”だった頃も…今は詩を書くことだけが救いになっています」
瑞々しい感性で多くの読者に親しまれた詩人、谷川俊太郎さんが、11月13日に老衰のため亡くなりました。92歳でした。 【写真を見る】追悼 谷川俊太郎さん「仕事に追われて“レモンの搾りかす”だった頃も…今は詩を書くことだけが救いになっています」 谷川さんといえば、多くの詩や絵本の作者としてはもちろん、あの「鉄腕アトム」の主題歌の作詞をしたことでも知られています。 ことばを操って70年余り。東京都杉並区の自宅でお聞きした貴重なお話を振り返ります(2019年3月取材)。 ■「朝起きる前に浮かぶことが多いので、すぐにちょっとメモします」 取材当時谷川さんは87歳。生まれ育った場所で、一人で暮らしていました。 (谷川俊太郎さん) 「時々ベッドに入っちゃってから何か思いついて、ちょっとごそごそして2、3行書いたりもしてますし、朝起きる前に浮かぶことが多いので、朝起きてすぐにちょっとメモしますね。短い言葉ですよ。なんで自分でもこんな詩が書けたのかよくわかんないみたいな詩が一番いいですね」 ■手塚治虫さんから直接電話が… 懐かしい「鉄腕アトム」の主題歌も担当しました。 (谷川さん) 「よく覚えてないんだけど手塚さんから直接電話をもらった記憶があるんですね。で、困っちゃうと『ラララ』でごまかしたりして、っていう風に言うんだけど、それは嘘で、実際にはラララっていうのは結構ウケてるから」 (記者) 「ラララって共感できますよね」 (谷川さん) 「みたいですね。“歌”ってそういうもんなんですよね」 ■「『生活費を稼ごう』が詩を作る動機でした」 谷川さんは1931年、昭和6年に生まれました。高校時代に友人の影響で詩を書き始め、20歳のときに初めての詩集「20億光年の孤独」を出版します。哲学者の父、谷川徹三が、知り合いの詩人、三好達治に息子の創作ノートを見せたことがきっかけでした。 (谷川さん) 「自分としては『いい詩を書こう』ではなく、『生活費を稼ごう』、『お金を稼ごう』というのが(詩を作る)動機でしたね」 この詩集が評価され、大学に進まなかった谷川さんを心配していた母親も一安心。詩集、合唱曲の作詞、絵本などにも活躍の場を広げ、やがて日本を代表する詩人になっていきました。