「パーカー騒動」で吠えている“令和おじさん”の正体、「パーカーがおじさんぽい人」「ぽくならない人」の差
先週、さまざまな物議を醸した「おじさんパーカーありなし論争」。スウェットパーカーの日本での流行の変遷を振り返りつつ、“令和のおじさん”こと団塊ジュニア世代がパーカーにこだわる理由、そしておじさん感が出ないパーカーの着こなし方のコツを、ファッションジャーナリストの増田海治郎が解説する。 【写真】「おじさん化」しないパーカーの着こなし ■パーカーをファッションに変えたロッキー パーカーの起源はアラスカ先住民であるイヌイット(エスキモー)の防寒服である。でも今回の議論の的になっているのは、アウターとしてのパーカーではなく、アスレチックウェアに端を発するスウェットパーカーのこと。
スウェットシャツは1920年代にアメリカで生まれ、大学名や背番号をプリントしたものが当時の大学生の間で広まり、1930~1940年代にはヴィンテージの世界で「後付け」と呼ばれるフード付きのスウェットパーカーが誕生した。 スウェットパーカーが日本の若者に認知されたのは、映画「ロッキー」(日本では1977年公開)の影響が大きい。シルヴェスター・スターローン演じるボクサーのロッキー・バルボアがトレーニング中に着ていた霜降りグレーのスウェットパーカーとパンツのセットアップ姿が、当時の日本の若者たちに衝撃を与えたのだ。
1976年に雑誌『ポパイ』が創刊され、アメリカの若者文化の情報が伝えられるようになり、アメ横や渋谷にはアメリカ製の商品を販売するインポートショップもオープン。もちろん当時は限られた都会の大学生や社会人のみが手に入れられたものだったはずだが、スウェットパーカーはアメカジの必須アイテムとしてこの頃から日本でも広まったのである。 日本の若者が当たり前のようにスウェットパーカーをファッションとして楽しむようになったのは、1980年代中盤から1990年代初頭にかけて流行したアメカジのムーブメント「渋カジ」の影響が大きい。
1985年のプラザ合意で円が強くなり、それまで高嶺の花だったインポートブランドは、急速に身近なものとなった。1980年代後半になると渋谷・原宿エリアにインポートショップが雨後の筍のようにオープンし、高校生でも買える価格帯で販売されるようになった。 筆者も1989年のポパイの特集で渋カジの存在を知り、明治通り沿いにあった「レッドウッド」というインポートショップで、アメリカ製のジップアップのスウェットパーカーを3800円で購入したのをつい昨日のことのように覚えている。