アレックス・ヴァン・ヘイレンが語る、最愛の弟エディ・ヴァン・ヘイレン
「あいつに与えられた桁違いの才能は、同時に大きな呪いでもあった」
ある日、(時系列や詳細についての彼の記憶はしばしば曖昧だが、大目に見てほしい)エディがアレックスの家にやってきて、仕上げたばかりのサイドプロジェクトをキッチンテーブルに放り投げた。それはエディがどん底にあった2006年に手がけたポルノ映画のサウンドトラックかもしれないが、アレックスは詳しくは語ろうとしない。「妻の隣で座ってた俺は、それを見て『何だこのクソは?』って感じだった。当然だろ?」と彼は振り返る。「そしたらエディがこう言ったんだ。『俺だってやればできるんだぜ』」 アレックスは首を振る。「誰かに認めて欲しかっただけなんだと、俺が気づいてやるべきだったんだ」と彼は語る。「わかっていたら、『マジで最高だ』って言ってやれたはずだ。でも当時の俺は、『エディ、一体何を考えてるんだ? これ以上何が欲しいんだよ? お前はすでに……頂点を極めたのに……』って感じだった。あの時の俺にはまったく理解できなかったけど、今思い返すと泣きたくなるんだ」。彼は言葉を詰まらせ、しばらくの間沈黙が続いた。 アレックスはため息をつき、こう続けた。「あいつに与えられた桁違いの才能は、同時に大きな呪いでもあった。エディは超人的なプレイヤーだったけど、最終的にはそのせいで健康を損ない、命を落とすことになった」。世間はエディを「世界最高のギタリスト」ともてはやし、彼自身も心のどこかでそう信じていた。「お前はそれを真に受けてしまい、やがてその重圧に押しつぶされた」とアレックスは自著で述べている。(正当化されるべき)傲慢さに近い自信、自己不信、そして自己嫌悪(自分はその才能を享受するに値しないという認識)という厄介な組み合わせは、エディから演奏に対する自信を奪った。彼が薬物やアルコールを摂取したのは、主にそうした不安を和らげるためだった。それが弟の身体を蝕み、最終的にガンで命を落とすきっかけを作ったと、アレックスは確信している。 エディは自身の問題の一因が、トラウマ的だった子供時代にあると考えていた。母親は彼のことを「父親と同じで役立たず」(オランダ語では「nietsnut」)と叱りつけ、毎日何時間もピアノの練習を強制した。兄弟間ではよくあることだが、アレックスは同じ屋根の下で育ちながらも、まったく異なる体験をしていた。インドネシア系の母親に対する偏見から逃れるために、エディが7歳、アレックスが8歳のときに、一家はオランダからアメリカに移住した。当時2人が知っていた唯一の英語は、単語帳の最初のページに載っていた「accident」だった。彼らは外国人であり、アジア系の血を引いていたこともあって、移住当初は孤立しがちだった。「みんなとは違う存在として扱われることもある」とアレックスは話す。「でも、それが人生さ。エディはそれをとにかく気にしていた」 家庭においても、アレックスはトラウマを抱えることはなかった。彼自身の言葉によると、母親が父であるヤンの行動が気に入らないときに、「お父さんをノックアウトして」とアレックスに頼むなど、奇妙なことも間違いなくあった。「母は極端に厳格で、子供たちに与えるものについては一切妥協しなかった」とアレックスは話す。その厳格さが度を過ぎることもあり、母親がアレックスの親指を木のスプーンで叩き、爪が剥がれてしまったこともあった。「母はそういうやり方しか知らなかったんだ。彼女は有色人種で、一生の大半で差別を受けてきたから」と彼は言う。 兄弟のアルコール依存症は父親譲りであり、運命づけられていたも同然だった。父親であるヤン・ヴァン・ヘイレンからその遺伝子を受け継いだ2人は、酒の味も彼から教わった。しかし、2人はあまり父を責めようとはせず、むしろ音楽的なインスピレーションや知恵の源として称賛している。酔っぱらったオランダのヨーダというわけだ。アレックスは、父親が「より豊かでアーシーな音」を求めて、クラリネットのリードの改良に何時間も没頭する姿を見て育った。それは「ブラウンサウンド」と呼ばれるエディのギターのトーンや、アレックスのスネアのサウンドに影響を与えた。「口に含んだリードが彼の世界そのものだった」とアレックスは記している。ヤンはスターとは程遠い旅芸人のような音楽家だったが、自分の信念を息子たちに教え込もうとした。「自分のくだらない考えをあてにするな。ただ演奏しろ」と。しかし、それもエディにはあまり効果がなかったようだ。アレックスはゆっくりと手を叩きながらこう言った。「あいつは父の助言に耳を貸そうとしなかった」 アレックス自身も、独創性に満ちた名手だ。それは「Jump」のギターソロの背後に隠れた狂気じみたシンコペーションや、「Outta Love Again」の滑らかなシンバルワークを聴けば明らかだ。フー・ファイターズのドラマーであり、ロサンゼルスのゲーテッドコミュニティでの隣人でもあったテイラー・ホーキンスは、彼が亡くなる1年前の2021年に筆者が訪ねた際に、後者を通しで演奏してくれた。「これ、マジで難しいんだよ」と彼は話していた。「アレックス・ヴァン・ヘイレンはプロ中のプロだ。彼は過小評価されてる。ここではっきりさせておくけど、彼はもっと称賛されて然るべきだ」 アレックスは、自分が他のドラマーにとってのヒーローであるという事実を今も自覚していない。「そんな暇がなかったんだよ、エディとの仕事で手一杯さ」と彼は言う。「バディ・リッチはこう言ってた。『私は周囲の人間を引き立てるためにいるんだ』って。俺もそう思ってる」。いずれにせよ、ドラマーとして個人で得られる称賛には限界がある。「実際のところ、Rose Bowlを埋められるドラマーなんてほとんどいないだろ」