なぜか相撲部屋が「葛飾区」に集まってきている…その「驚きの理由」
各地に散らばる相撲部屋
その後も「中年の星」として、2015年名古屋場所まで現役を続行。引退後は、友綱部屋付きの親方として、部屋を支えていた。2022年、友綱親方の定年後は、大島部屋を再興したのだが、部屋は友綱親方から借りる形を取っていた。 自分自身で相撲部屋を作って、のびのびと弟子を育てたい。そうした思いから、大島親方が新しい部屋の着工に乗り出したのは、2022年夏のことだった。 相撲部屋と言えば、両国国技館に近い、両国界隈に多いと思われているのだが、実際には元横綱・稀勢の里の二所ノ関部屋は、茨城県阿見町に、大関・琴櫻のいる佐渡ヶ嶽部屋は千葉県松戸市にあるなど、首都圏各地に点在している。 大島部屋もスカイツリーにほど近い墨田区業平にあったのだが、大島親方が「新しい部屋」の建設を決断した場所は、葛飾区青戸だった。 「葛飾区には、すでに九重部屋(元大関・千代大海)、二子山部屋(元大関・雅山)があって、周囲の環境などもいいと聞いていました。そしてなにより魅力的だったのは、(葛飾区の)定期借地権を利用できたこと。 相撲部屋は必ず土俵を設けなければならないなど、一般家庭よりも広い敷地が必要ですから、土地を安価に借りられるのは助かります。その分、部屋にトレーニングルームを作るなど、弟子のためにお金をかけることができました」(大島親方) 2年ほどの時間をかけて完成した新大島部屋は3階建てで、駐車スペースなどを入れて130坪。廊下も若い力士が過ごす大部屋も広く、全体的にゆったりとした作りになっている。国技館へも電車、バスを利用して30~40分ほどだ。 「相撲部屋は全員が家族だと思っていますから、師弟で同じフロアに住んで、風通しのよい環境を作っていけたらいいな…と。 自分のワガママで現役を長く務めさせてもらって、(一時は)友綱親方にもなりましたけど、大島部屋で育った人間としてしっくりこない部分があった。(新しい部屋が完成して)50歳にして、ようやく自分の足元、地盤を固められたので、1人でも多くの弟子に入門してもらえたらうれしいです」 10月5日の部屋開きの席で、本音を吐露した大島親方。勝手口には太田氏が興した旧大島部屋の看板も掲げられている。