【芸能あの日の一枚】AKB48支えた裏方 衣装修正間に合わず必死の現場
2010年5月21日のAKB48新生(柏木)チームB「シアターの女神」公演初日、東京・秋葉原のAKB48劇場では午後から本番を前にマスコミ向けゲネプロが行われた。終演後ロビーに退出すると、張りつめた空気が漂っていた。普段は公演前後のひとときを静かに過ごすロビーだが、このときは衣装担当のスタッフがミシンまで持ち込んで、必死の衣装修正(制作)にあたっていたのだ。
前年に初の選抜総選挙と組閣発表 勢いに乗ったグループ
当時のAKB48はといえば、前年の2009年に第1回選抜総選挙が開催され人気が全国に拡大中で、「組閣」と称したAKB48内の大規模なチーム再編も初めて行われた。各チームにキャプテンが設置され、10年から施行。新生チームBは柏木由紀をキャプテンとし、「柏木チームB」とも呼ばれた。 5月21日の公演初日はこの新たな柏木チームBデビューの日だったわけだが、チームA、チームK、チームBの3チームの中で、旧体制からもっとも大幅に変化したのがチームBだった。初代チームBから残留したメンバーはわずか3名で、他チームから異動してきたメンバーのほうが多い状況だった。
衣装の修正間に合わず現場にミシン持ち込み
「あの日は衣装の修正が間に合わなかったために、劇場公演では珍しくミシンまで持ち込んだ記憶があります。普通は劇場公演の場合は、現場ではさすがにミシンを持ち込んでまでの修正は避けたいんです。なので修正縫製の場合は劇場から思い出ビル(AKS=現・Vernalossom)に持ち帰って縫製、ということなら多々ありました。ミシンまで持ち込んで、というのは複数日開催の大規模コンサートではよくありました。『翌日の』『次の回の』衣装を、まさに自転車操業で縫製する……。出演人数に比例しての衣装部屋なので、片やフィッティング、片や縫製……といった状況でしたね」と振り返るのは、当時のAKB48関係者。 この日の取材記録を見るとゲネプロは13時過ぎからスタートし、終演後に報道陣がロビーへ退出したのは15時頃だった。本番まで時間的な余裕もあまりなく、ロビーは衣装スタッフの戦場と化していた。 「当時はスタッフはじめ、場合によってはメンバー自身の衣装へのこだわりもありました。シルエットだけでなく、動きやすさや着脱のしやすさなどへのこだわりですね。なので、『すぐ』『その場で』という臨機応変さが求められたことは事実です。AKB48に携わるみんなが夢中でしたね」と懐かしそうに話すのは、当時の衣装関連スタッフ。 翌11年1月には初のドキュンタリー映画「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?」が公開され、48グループの大規模コンサートの走りとなる西武ドーム公演も行われた。飛ぶ鳥を落とす勢いにあるグループの現場には、それを懸命に支える裏方の人々が必ずいて、表舞台に勝るとも劣らない真剣勝負が繰り広げられている。 (写真・文:志和浩司)