「タバコをやめたら、全然違う。楽になったよ」阪神・岡田彰布オーナー付顧問から藤川球児監督へ…吉田義男氏から続く『禁煙が結ぶ“縁”』
◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」 岡田彰布前監督、いや、もう「球団顧問」と呼ばなくては。その「オーナー付顧問」が高知・安芸での秋季キャンプを視察するというので、それに合わせて筆者も安芸を訪ねた。 ◆岡田彰布オーナー付顧問、ジャージー姿でキャンプに登場【写真複数】 昭和54(1979)年から十数年、毎年のように通った安芸は黒潮のせいか、冬でも暖かい。訪れた11月9、10日は暑かった。地元高知出身(高知商)の藤川球児監督の晴れ姿を一目見ようとスタンドは超満員。球場入り口からメイングラウンドまでの坂道沿道には、イカ焼きや焼きそば、阪神グッズを売る屋台がズラリ。お祭りの縁日のようだ。 9日はグランウドに姿を見せた岡田オーナー付顧問にびっくり。なんとグレーのジャージー姿。まさか、選手たちに直接指導? さすがにそれはしなかったが、どうやら、室内練習場にあるトレーニング機(バイク)を一こぎ、運動時の血中酸素濃度を測定しているとか。大丈夫かいなーと心配したが、お医者さんの指示のようだ。 「タバコをやめたら、全然違う。楽になったよ。飯はうまいしな」 DeNAとのクライマックス・シリーズでは、試合前に酸素吸入しなければいけないぐらいに、しんどかった身体。それが、バイクがこげるほど回復したのだから『禁煙』の効果は大きい。あるベテラン記者が「なら、ボクも禁煙しようかな」とつぶやくと「無理や」と一言。 「タバコをやめるんはオレみたいに、もう苦しくて吸えんーという身体にならな、簡単にはやめられへんよ」。実感が伴った言葉だ。 実は藤川監督も就任と同時に「禁煙」を宣言した。この秋季キャンプでも宿泊の自室以外での喫煙は禁止ーの指示を出している。もちろん、来シーズン中もタイガースは率先して「禁煙」すると言う。 9日は三塁側ベンチで約1時間。10日はブルペンでまた1時間。岡田オーナー付顧問と藤川監督は話し込んだ。「会議室で話すより、野球は現場、グラウンドで話すといろんなことが聞ける。どんな質問にも返していただけるし、空っぽの引き出しにドンドン荷物を詰め込んで行っている感じ。ありがたいです」と藤川監督。 ブルペンでは捕手の後の椅子に岡田オーナー付顧問が座り、藤川監督がひざまずいて話しをしている。「師弟関係」を象徴するようなシーン。その様子は岡田監督が吉田義男氏とベンチで話す様子に似ている。そういえば、吉田氏も監督1年目、昭和60(1985)年に『禁煙』を実践した。 「そのくらいの強い意思を持たな、阪神の監督なんて務まりまへんで」というのが禁煙の理由だった。 当時の虎番記者は誰も続くとは思っていなかった。吉田監督は球団でも無類の愛煙家。タバコにまつわる逸話もある。例えば「◯吉タバコ」。人に吸われないようにと、タバコ1本、1本にボールペンで「◯吉」と書き込んでいたとか。ホンマですか?と尋ねるとー。 「そんなことしまっかいな。私がケチやという作り話。タバコの箱には間違われんようにとマジックで◯吉と書きましたけど」 そんな吉田監督が禁煙? 無理。ところがなんと1年やり切ったのである。もちろん、初めは苦しくなってタバコを買って、上着のポケットに。だが、そのタバコを自宅で長女が見つけて隠した。ある日、吉田監督がタバコを探して長女の机の引き出しをコッソリ覗くと、紙切れが1枚。『タバコはないよ~ん』と書かれてあった。 「娘にもてあそばれてまんねん」。その日から吉田監督はスッパリとタバコをやめたという。 吉田氏ー岡田オーナー付顧問ー藤川監督と続く「師弟関係」。禁煙が結ぶ縁。これは《金縁》である。 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
中日スポーツ