ファビアナ・パラディーノが語る80年代R&Bの再解釈、ネオソウルを支えた父ピノから受け取ったもの
2024年の様々な年間ベストアルバム記事で、彼女の凛々しい表情を捉えたジャケットを見た方も多いのではないだろうか。ファビアナ・パラディーノ(Fabiana Palladino)のデビュー・アルバム『Fabiana Palladino』は発表されてすぐに高い評価を得た。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 ジェシー・ウェア、サンファ、ジェイ・ポール、カインドネスなどの作品にボーカリストとして参加し、SBTRKTやジェシー・ウェアらのライブでは鍵盤奏者を務めるなど、敏腕サポートミュージシャンでもあった彼女。ディアンジェロらとの共演で知られる伝説的ベーシスト、ピノ・パラディーノの娘にして、UKジャズのキーマンでもあるロッコ・パラディーノの妹でもあるわけだが、現在はむしろジェイ・ポールとA.K.ポールの兄弟が率いるPaul Institute所属のアーティスト、と捉えたほうがいいだろう。 2010年代から自身の名義でも楽曲を制作し、Soundcloudにアップしていたが、あるときすべて削除。満足できるクオリティの音楽を目指し制作に没頭していった。そして、完成したのが『Fabiana Palladino』だ。80年代や90年代のR&Bやシンセポップのようなサウンドでもあるが、そのプロダクションは現代的なもの。ジェイ・ポールと共に手掛けたプロダクションの妙もあれば、父や兄の卓越した演奏の魅力もある。このデビュー作には有無を言わせぬ凄みのようなものがある。 ファビアナは初の来日公演を1月27日・28日にブルーノート東京で行う。その来日に先駆け、彼女に話を聞くことができた。ファビアナの音楽遍歴を辿ると、驚異的なデビュー作のことが少しずつ見えてきた。 * ―これまでに来日したことはあるんですか? ファビアナ:以前一緒に演奏していたSBTRKTのバンド・メンバーと一緒に、たしか2014年のフジロックで演奏したことがある。10年前かな。 ファビアナが携わってきたアーティストの楽曲をまとめたプレイリスト ―10年ぶりの来日と聞くと期待が膨らみますね。ファビアナさんの音楽遍歴をお聞きしたいです。音楽一家で育ちながら、子供の頃はどんな音楽がお好きだったんですか? ファビアナ:当時流行ったポップ・ミュージックを聴いていた一方で、自宅では主にソウル・ミュージックが流れていた。スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、アレサ・フランクリン。それからジャズも。サラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドのような偉大なジャズ・シンガーも聴いた。幼い頃に父がビル・エヴァンスのCDをプレゼントしてくれたのを覚えている。ビル・エヴァンスは最高のジャズ・ピアニストの一人だから、父はあのCDをピアノを弾いていた私に贈ってくれたんだと思う。 という感じで、いろんな音楽を聴いて育ったけど、私が実際に買っていた音楽は90年代のポップスやR&Bだった。ジャネット・ジャクソンが特に大好きで、私にとっては大きな存在。好きになったきっかけは母から貰った80年代~90年代のヒット曲が収録されたジャネットのベスト盤『Design of a Decade』。子供の頃は自分が聴いていた曲が80年代の作品だとは知らなかったけど、私の作る楽曲が80年代っぽいのもここから来ているのかもしれない。それから、私の従兄弟たちがブラックストリート(テディ・ライリーが在籍していたR&Bグループ)の大ファンで、「Don’t Leave Me」を収録しているアルバムをよく聴いた。他には、アッシャーのデビュー・アルバムだとか、アリーヤ、ミッシー・エリオットとか……当時出たシングル曲やR&B系ヒット曲は全て網羅していたかな。 ―今のあなたとも繋がる部分がありますね。その後、歌や演奏を始めたきっかけは? ファビアナ:本格的に歌い始めたのは18歳か19歳辺りで、かなり遅かった。きっかけは、曲を書き始めたこと。歌詞を書いているうちに自然な流れで……気づいたら歌っていた。子供の頃は自分に自信がなかったから、「歌手になりたい! アーティストになりたい!」みたいな感じじゃなかったし、恥ずかしいから自分が歌っていることは誰にも知られたくなかった。歌い始めたのが遅かったから、自分の歌声を模索するのに時間がかかったと思う。最初は他の歌手の真似をしてみたりしていたけど、徐々に自分の歌声がわかるようになり、受け入れられるようになっていった。 ―最初に作曲や歌を始めた頃ってどういう人たちに憧れ、参照していたんですか? ファビアナ:子供の頃に愛聴していたスティーヴィー・ワンダー、アレサ(・フランクリン)とか……当時ヒットしていたアリシア・キーズがピアノを弾きながら歌う姿にも凄く影響を受けた。それから、ノラ・ジョーンズや、後に登場したエイミー・ワインハウスからも刺激を受けた。彼女は同じロンドン出身で、共通の知り合いもいたから。その頃から、ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングをはじめとした70年代のシンガー・ソングライターにも夢中だった。 ―「歌い始めたのが18歳から19歳」ということは、高校時代は音楽的教育は受けてないってことですかね? ファビアナ:音楽の授業もあったけど、クラシック音楽寄りで、あまり楽しくなかったから。初見演奏も好きじゃなかった。とにかく伝統的で、規則に従い……みたいな感じで、私には全然合っていなかった。それが当時、音楽の道に進まなかった理由で、あの頃は自分が歩んでいく道を模索していたんだと思う。 ―その後、進学したゴールドスミス大学ではどんなことを勉強していたんでしょうか? ファビアナ:最初は英文学を専攻していたんだけど、半年も経たないうちに、自分には向いていないことに気づいちゃって(苦笑)。どうしたらいいのかわからなくて、「私、大学での学業って向いていないのかも?」って悩んでいた。退学することもできたけど、(ゴールドスミスの)ポピュラー音楽コースのスタッフに話を聞きに行ったら、「実技試験に通れば学部変更できる」と教えてくれたの。それで無事に、ポピュラー音楽のコースに移ることができたわけ。半分が音楽学を学んだり、エッセイを書いたりするアカデミックな内容で、残りの半分は演奏や作曲、ジャズのアレンジや映画音楽などを幅広く学ぶことができて、素晴らしい内容だった。 ―特に印象に残っている授業はありますか? ファビアナ:グループ・アンサンブルの演奏をしたことは印象に残ってる。講師の一人が、女性だけのアンサンブルを提案してくれて。(ゴールドスミスの)ポピュラー音楽コースにはボーカリストの女子学生はいたけど、女性のミュージシャンや楽器奏者はそれほど多くなかったから、女子だけのグループで演奏することになった。曲名は忘れちゃったけど、ジャニス・ジョプリンの曲を自分たちでアレンジして演奏したのを覚えてる。当時はバンドのミュージシャン全員が女性というのも変わっていた。今だったらそんなことをする必要もないと思うけどね。 ―大学時代に作曲面で特に研究したアーティストは? ファビアナ:これまでにカバーされた曲を1曲選び、カバーしたアーティストの異なるアプローチ法と何故そういった手法でカバーしているかを比較しながら論じるエッセイ課題があって。私は大好きなサイモン&ガーファンクルの「America」という曲を選んだ。デヴィッド・ボウイやイエスもカバーした曲。ジャズの世界では、カバーやスタンダード曲がとても重要なわけだけど、それをポピュラー音楽の文脈で論じ、アーティストたちがどのようにカバーしたかを掘り下げるのは面白かった。