「昭和のキックボクシング復活を」。日本格闘技キック連盟理事長の中川二郎さん/大阪
このところ大阪では、格闘技の興行が活況を呈している。中川二郎さんは、日本のキックボクシング低迷時より、大阪を拠点にキックボクシングの興行主として活動をしてきた人物だ。1986年に大阪でキックボクシング団体「日本格闘技キック連盟」を設立、理事長に就任。その後、沢村忠などが活躍した昭和のキックボクシング復活をテーマに「SUPER KICK S-1」を立ち上げ、定期的に試合を開催している。しかも、自らも選手として出場し続け、最近はシャドーキックボクシングを披露する機会も多いようだ。そんな中川さんに話を伺った。
僕はキックボクシングでしか生きていけない
―キックボクシングを始めたのは? 中川 僕が若い頃、当時はキックボクシングが主流だった。それで憧れた。正統派でやってきたし、強くなりたかった。 ―強さに憧れたのは? 中川 キックボクシングは、今は野球やサッカー人気に押されている。でも、僕はキックボクシングでしか生きていけない。四角い中でしか自分を表現できないんです。だからその中で強くなりたかった。 ―強さへの憧れの根底には何がありますか? 中川 僕は両親を早くに亡くしました。6歳の時に父親を、16歳の時に母親を亡くしています。もともと自衛隊の空手部で、毎日毎日練習して。努力したらうまくなった。負けても負けても、いつかは勝てる。強くなりたい一心で青春時代を戦ってきた。僕の本業は仕出し屋なんです。キックだけでは大変な時期もあったので。でも、妻にはキックをやめるんやったら離婚するって常に言ってました。
KO負けが一度もない
中川さんは、元アジア太平洋キック連盟フライ級、および日本格闘技キック連盟フライ級・バンタム級チャンピオン。生涯通算成績は63戦39勝20負4分。現在は「S-1」の興行に全力を注ぎ、北心ジム会長でもある。 ―KO負けが一度もないんですね? 中川 そうです。KO負けは一度もない。負けても判定でした。生涯KO負けがない選手は少ないでしょう。今も現役ですけど、大会がある時はいつでも出たろうと思っています。ただ、対戦相手が嫌がります。僕はもう還暦を過ぎてますし、負けて元々ですから(笑い)。今でも、2日に一度、20キロを走っている。それくらい走っていると、ダウンしても、身体が動いて立てるようになる。リングで相手に倒された時、根性があるから気力で立てると思うでしょ。そうじゃない。実は身体が動くから立てるんです。 ―キックボクシングの魅力とは? 中川 試合が真剣勝負ですべてリアルだという点でしょう。リアルなので試合としておもしろくないこともある。だから最近は試合前のデモンストレーションが大事だと思ってます。