人形浄瑠璃で深まった日本語と日本文化への理解 クロエ・ヴィアート(フランス、順天堂大学准教授)
日本海の島で人形芝居に出会う
フランス語の教授資格を得て新潟大学に勤めることになったクロエは2008年8月、新潟で「猿八座」の稽古を見学できることになった。猿八座は佐渡を拠点とする人形浄瑠璃の一座で、大阪で文楽の人形遣いの修業をした西橋八郎兵衛(にしはし・はちろべえ)が1995年に立ち上げた。佐渡に残る「文弥(ぶんや)人形」を中心に古浄瑠璃の復活上演を行っている。 「かつて金山で栄えた佐渡は、全国各地から人々が集まり、文化や芸能が発展しました。その後、よそでは失われてしまった伝統芸能も、地理的条件のおかげで守られてきました。人形浄瑠璃もそうで、文楽が隆盛する以前の形態が残っていたのです」 人形浄瑠璃についてほとんど知らなかったクロエだが、一目見てその雰囲気に魅了され、翌年には門をたたいていた。猿八座には女性も若手も多くはないが、熱意さえあれば入門者に条件はない。もちろん国籍も問わない。クロエは意を決して人形浄瑠璃の世界に飛び込んだ。すべては見よう見まね、文字通りの見習いだ。 こうして09年11月、クロエは人形遣い「八里(やさと)」としてデビューする。猿八座の団員は皆、「猿」か「八」の付いた芸名をもらうが、師匠が付けてくれたこの名は故郷パリにちなんでいる。
江戸時代の草書を解読
猿八座の一員となって以来、クロエは自身の日本語が飛躍的に上達するのを感じていた。ちなみに、一座の演目のほとんどは近松門左衛門(1653-1724)の作品だ。一言一句変えることなく、当時書かれた通りに語られる。クロエは物語を理解するために、一人で格闘しなければならなかった。 「難しいならやってやる!」そんな精神が彼女にはあった。難読至極の台本を受け取っても、決して文句は言わない。分厚い辞書を手に、額に汗して、ひたすら草書体を「解読」するのだ。彼女の努力は単なる読解にとどまらず、近松の戯曲をフランス語に翻訳するにまで及んだ。それによって初めて、全体を通してすべての場面を捉えることが可能になった。 「人形は太夫(語り手)が語るテキストに合わせて動きます。つまり人形遣いは、テキストを耳で完全に覚え、それに基づいて正しい動きを作り出さなければなりません。公演の準備に入ると、作品の背景を理解し、その内容を消化し、語りを暗記して、自分のものにしなければならないのです」 語りを理解する上で難しいのは「主語」を見つけることだ。誰が話しているのか、相手に答えているのか、それともナレーションなのか? 浄瑠璃の台本にト書きはない。クロエの翻訳作業は、当初は読み違いも散見された。ただ幸いなことに、その間違いは稽古で修正することができる。同時に、稽古では即興の技術を学ぶこともできた。クロエは人形浄瑠璃をジャズに例える。 「これを聞いたらこう動くといった、定まった振り付けがあるわけではありません。稽古中には、特定のタイミングで合わせるポイントを決めるだけです。人形浄瑠璃の芝居はこれらのポイントを基本に成り立っており、その間に関しては、即興かつ自由なのです」