釜石・野田武則市長の会見(全文2・質疑応答)防潮堤と防波堤は必要
東日本大震災から5年を迎えることを受け、岩手県・釜石市の野田武則市長が1日午後2時から、東京の外国特派員協会で記者会見を行った。同市は震災の津波で壊滅的な被害を受けたが、現在の市の復興状況などについて語った。
防潮堤とか防波堤の存在があって自分たちの生活がある
野田:釜石には釜石沖に湾口防波堤というものがございまして、いまご指摘がありましたとおり、確か海底から65メーターだったと思いますが、世界で一番深いところにできた湾口防波堤ということで、実はギネスに登録をさせていただいたものでございます。この湾港防波堤の建設に至った経過といいますのは、実は明治29年、それから昭和8年の三陸大津波によりまして、今回の津波とまったく同じような被害がありました。そのことから、なんとか地域の方々の命を守るために防波堤が造られました。 それから、海には防波堤、陸上にはいわゆる防潮堤。陸上には防潮堤ですね。海の沖合には防波堤というのができたんですが、これが明治29年、昭和8年の反省の上に立って、国のほうで三陸に造られたものでございます。これは釜石のみならず、宮古とか大船渡とか、そういったところにも造られたわけですが、釜石はいま、ご指摘のとおり、一番深かったということでございまして、そのために多額の経費と時間がかかったということでございます。 で、今回の3.11のときの津波で、この湾口防波堤は一部損壊をしてしまいましたけども、その役割は大きな役割を果たしていただきました。と申しますのは、市の中心部も被災したわけですけども、この湾口防波堤のおかげでその被災したエリアが小さかった。もし湾口防波堤がなかったらもっと広い地区が、釜石の場合は広い地区が被災したであろうと想定されます。 それから湾口防波堤があることによって津波の襲来が半減したということ、それから時間が約6分だったと思いますが、6分の遅延をすることができたということでござまして、このことからすると、1分1秒で九死に一生を得た方々がたくさんおられることを考えますと、決して無用なものではなかったと。われわれとしては極めて大きな役割を果たしたということで、今回、決壊をしたあとも、地域の皆さんはぜひこれをもう1回造っていただきたいということで、国のほうにお願いをした経過があります。 長く、もうちょっといいですかね。経費の部分から見ると無駄ではないかと思う方も多いのかもしれませんけれども、われわれ、海のほうに住んでるわれわれからしてみますと、いわゆる防潮堤とか防波堤の存在があって自分たちの生活があるという、そういう歴史的な経過があります。ですから、今回、全ての防波堤、防潮堤が壊れたわけですけども、もしかしたら防波堤も要らない、防潮堤も要らないということの、新たなまちづくりをつくる可能性もあったとは思うんですが、われわれはそれを選択しなかった。われわれは既存のものをもう一度造り直すという生活を選ばせていただきました。 ですから、もしお金の部分で言うならば、いまおっしゃったとおり、「ない」ということも選択肢の1つかもしれませんが、そのときはたぶん誰も住んでいないでしょう。そこに住むためにやっぱり必要だったということです。ですからこれはそこに住んでる人たちでないと分からない部分がありまして、たぶん他の地区の方々から見るとなかなか分かりづらいところもあるかもしれませんが、これはやっぱりそこに生活をしてきた方々の歴史があるということで、ご理解をいただければありがたいと思います。