「極力頑張らない働き方」を選んだ人が幸せにすらなれない決定的な理由
● 「頑張らなくていい」の末路は 「静かな退廃」 少し前に、働き方改革のあおりで「頑張ること」がタブーのように捉えられ、「海外はもっと休んでる」「お金を稼ぐことが全てじゃない」といった考えが評価される風潮がありました。 そんな中、何か力強いことを言うとパワハラにされてしまうから、次第に何も言えなくなってしまった。そしてふたを開けてみたら、今度は「頑張らなくてもいいじゃん」を肯定する時代になっていた。「頑張らなくてもいい」という考え方は、多様な生き方を肯定しているように聞こえて、ポジティブに思えるかもしれません。しかし、この風潮は、実は不幸になる人も出てしまう考え方だといえます。 「頑張らなくていい」とは、欲しいものを自ら手に入れようとするのを諦めることです。運に任せて、自分の人生をコントロールすることをやめて他者に委ねてしまうのは、果たして幸せなのでしょうか。 へこみがなければ跳ね上がることはありません。失敗なくして成功もありません。「いつか自分に合う仕事があるはず」と、永遠に見つからない宝探しをしているうちに、あっという間に40~50歳になってしまう。気付いたときには、既に「静かな退廃」ともいうべき状態に陥っていることでしょう。 自分で経験していないことを、人の様子を見て分かった気になり、それを基準に「やる意味」を判断する恐ろしさ。SNSやメディアで手軽に他人の人生を垣間見ることができるからこその弊害ともいえます。 自分の意思で決断することがどれだけ大切か。自分の意見や経験を持たないから他者に依存するしかない、けれど、自分が当事者になる勇気もない。静かな退職を正当化して損するのは、他でもない自分なんです。
● 「今のままでいい」では 現状維持はできない 「静かな退職」をしている間にも年は取っていきます。会社に所属する以上、どんな仕事をしていようが給料が発生します。給料が発生するということは、仕事に対する責任も伴います。 「頑張っていようがいまいが、最低限の仕事をしていれば責任は果たしている」と反論が聞こえてきそうですが、たしかに今だけはそうかもしれません。 ただし、会社の事業や社会は発展していくことが前提にあるため、成長を止めた人から自動的に振り落とされていきます。年齢を重ねるにしたがって求められる役割や価値は移り変わり、必要とされ続けるためには相応の努力が必要になるでしょう。 「年齢を重ねても今と同じ給料で良い」 「少ない給料でも満足している」 と、人生設計をほどほどにしているから大丈夫だと思っていても、実際には物価上昇や税負担の増加などで実質的な収入は減っていく可能性が高いです。今より良くなる努力をしないままそんな未来を迎えるのは、逆の意味で勇気が要ります。 「静かな退職」は、キャリア形成が全く行われない時間を増やします。給料はもらえても、その間は経験やスキルなどが何も積み上がっていない。そんな人間が、次に働く場所でどんな貢献をできるのか。人よりも優れた、頑張った実績がない人間に誰がより高い給料を払うでしょうか。 自分の頭で考えられない人間を優遇する会社はないので、転職する度に給料が下がっていく可能性の方が明らかに高いでしょう。年齢と比例しないスキルセットでは、年齢を重ねるにしたがって市場価値は下がっていきます。特に30代以降では、努力した人とそうでない人で大きな差が付きます。