自分たちを社会は理解してくれない…“右翼雑誌”『Hanada』『WiLL』元編集者が語る「社会・国家間の溝が深まったワケ」傷ついた、だからやり返す
「あっちが言うからこっちも…」がエスカレート
この頃の編集後記に、筆者は「望まずに慰安婦になった方は本当に気の毒。しかし貧しさから親のためと慰安婦になった人まで性奴隷扱いでは浮かばれないのでは、その一言が傷をえぐっているのでは」などと書いていた。 こうなってくると、慰安婦問題で少しでも巻き返しを図りたい右派側は、論点をずらしてでも、わずかでも失地を回復せんとすることになる。当時その必要があって女性たちにお願いしたことであるというような姿勢は全く消えて、「たんまり儲けたくせに、まだたかるのか」「慰安婦じゃなくて売春婦だろう」というような、単なる罵倒に発展していく。 歴史認識問題に端を発する韓国批判がエスカレートしていたことは確かで、しかしそれが国内の在日韓国人を傷つけるものになるというところまでは考えが及んでいなかった。「あっちも言っているのだから、こっちも言い返すまでである」という国別対抗戦の様相こそが、当時の認識上の構図だった。 この「傷ついた人がいる」問題は厄介で、それを言ったら日本にも歴史認識問題や靖国問題で中韓から差し込まれて「傷ついた人がいる」。もちろん戦争で被った被害とは比べ物にならない。しかし、『WiLL』編集部に「一体いつまで、朝日新聞や中国・韓国は私たちの祖父を悪者にすれば気が済むのか」と泣かんばかりに電話をかけてきた読者もいたのである。 「悪いことをした側のくせに、被害者ぶるんじゃない」と叱っても、この人たちの心を解かすことはできないだろう。歴史修正を警戒する側は、「少しでも認めれば一気に評価をひっくり返され、日本が再び軍国主義に向かう」と考えただろう。その警戒感もわからないではないが、一方でこちらの「気持ち」を落ち着かせて初めて、相手の被害にも向き合える面もあるのではないか、とも思った。 そして、「被害を受けた」という自覚は、相手に対する反撃を苛烈なものにもしうる。この「被害を受けた」「だからやり返す」の応酬で、社会の分断が広がっているのは現在のSNSでは可視化されていることだろうが、ネット文脈も巻き込みながら、こうした意識が双方に増幅していったのである。
梶原麻衣子