自分たちを社会は理解してくれない…“右翼雑誌”『Hanada』『WiLL』元編集者が語る「社会・国家間の溝が深まったワケ」傷ついた、だからやり返す
「時代」が変える、慰安婦問題の認識
歴史認識問題の中でも一、二を争うテーマだったのが南京事件と慰安婦問題だ。南京事件にまつわる「百人斬り」報道では、戦意高揚報道に協力した日本軍の兵士が罪を問われ、戦犯となり処刑されることになった。当時の記事をもとに、今なお中国の「南京大虐殺記念館」には二人の写真が掲示されている。 「百人斬り」ご遺族の向井千惠子さんの話を聞いた筆者は、父が自衛官であっただけに他人事とは思えなかった。国のために戦って、良かれと思って戦意高揚記事に協力したら、負けたとたんに処刑されたのである。先の戦争全体の評価を変えてほしいわけではない。しかし部分的にでも、戦後長く無念の思いを背負って生きることになった人たちに寄り添うことはできないのか。 また南京事件は、被害者の数についても議論になっていた。「歴史修正主義」と言われる側も、当初は事件そのものを全否定するつもりは(恐らく)なく、あまりにも中国が多く見積もる犠牲者数や残虐行為について「(中国や朝日新聞が言うような)南京大虐殺は存在しない」と言っていたのである。だが、強く打ち返そうとの意が先に立ち、議論から次第に( )の部分が欠落して行った結果、事件そのものを全否定する人たちも出てきたのであった。 慰安婦問題では、当初は強制連行や連行の規模などが争われており、保守側としては「いくら何でもトラックに乗せて無理やり連れて行ったわけではない」「さすがに20万人は多すぎる」というものだったが、論を展開している間に時代が下り、価値観が変わってきたために慰安婦問題における女性の尊厳の面が強くなっていった。すると、「そもそもそんな施設を設けただけでも反省に値する」というような話に展開していくことになる。 当時の韓国人慰安婦の中には、日本の兵隊と恋をしたとか、買い物を楽しんだ、あるいは「親に家を買ってあげたくて慰安婦に志願した(が、終戦で給料の受け取りがうやむやになった)」といったことを書き残している人たちもいた。しかし「女性の尊厳の問題としてあり得ない」と言われてしまえば、彼女たちの口はふさがれたも同然になる。