自分たちを社会は理解してくれない…“右翼雑誌”『Hanada』『WiLL』元編集者が語る「社会・国家間の溝が深まったワケ」傷ついた、だからやり返す
朝日による「愛国心」の否定
2014年3月7日の朝日新聞朝刊一面コラム・天声人語は、安倍政権下で検討されていた道徳教材の内容について、次のように書いている。 〈「日本人としての自覚」「我が国を愛し発展に努める」といった記述に、ふと立ち止まる。食事中に砂粒を噛んだような感じがする〉。 確かに「愛し」というような言葉遣いに違和感を覚えることはあるだろうが、「砂粒を噛んだような感じ」となると相当の不快感で、食事だったら吐き出しているだろう。 同年9月6日、朝日新聞の社説は、国連人種差別撤廃委員会が日本のヘイトスピーチに対する勧告を出した際に、次のように書いている。 〈「誇りある日本国民として恥ずかしい」「日本人としてやめなければならない」という物言いにも違和感を覚える。差別を受け、恐怖を感じている被害者への視点が抜け落ちてはいないか。 安倍首相は国会でヘイトスピーチについて「他国の人々を誹謗中傷し、まるでわれわれが優れているという認識を持つのは全く間違い」と述べた。 「日本人の誇り」の強調は、そのような間違った認識を助長することにつながりかねない〉 こうした状況下では、「歴史の光と影の両方を知る」などと言っていては立ち行かない。実際にはそうあるべきなのだが、影が強ければ強いほど、光に目を向けさせたい側はより強い表現になるしかない面もあったのだ。朝日新聞側からすれば、右派の安倍政権下で「愛国心」が高まることに危機感を覚えたからこそ、より強く否定せねばという意識が働いたのだろう。しかし一部の人々はそうしてより強く押さえつけられた(と感じた)ことで、余計に愛国心を刺激されることになったというわけだ。
中国・韓国の愛国心が日本の愛国心を育てた
しかも2000年代に入って情報環境も大きく変わり始め、中国・韓国もそれぞれ愛国心を発露する模様が日本にダイレクトに伝わるようになった。その愛国心が「反日」を基礎にしているとなれば、突き付けられた自分たちは何も言い返さなくていいのか、となるのは自然の流れであろう。確かに戦前、両国に被害を及ぼしたことは認めても、だからと言って、一生謝り続けるのか。謝る以外の関係性は持ちえないのか。そうした考えを持つ人が出てくるのも当然だったと考える。 だからこそ、2015年の安倍総理による戦後70年談話で、「孫子の代へ謝罪の宿命を負わせない」と述べたことに対する保守派の心境は、「安堵」だったのである。 北風と太陽の寓話ではないが、戦前の日本について是々非々の立場を取る太陽政策で臨んでも、相手も同じように「確かに戦前の日本にも言い分はあるでしょう」などと言わないことは火を見るより明らかだったので、やはり北風を吹かせるしかない。 中韓に対してだけでなく、これは国内のリベラルに向けても声を上げていたのだが、「こちらの思いを知ってくれ」「韓国や中国に言われっぱなしで、俺たち日本人の誇りはどうなるんだ」と北風を吹かせれば吹かせるほど、相手側も頑なになっていった。しかも北風を吹かせれば吹かせるほど、保守派が本当に言いたかったことから話がずれていったのも確かだった。