スコットランドだけじゃない 世界の「独立予備群」は?
■チベット(中国)
インドと中国に挟まれたチベット高原には、17世紀にチベット仏教の活仏ダライラマを信仰の対象とするグン・ハン王朝が成立しました。18世紀の清朝による征服を経て、1966年にはチベット自治区が成立。中国共産党は社会主義イデオロギーに基づき僧侶や寺院を排撃の対象としたため、チベット人社会は反発。漢人が大量に入植したことも、これに拍車をかけました。 1956年の蜂起をきっかけにチベット人と人民解放軍が衝突を繰り返すようになり、1959年にはチベット人の精神的支柱ダライラマ14世がインドに亡命し、チベット亡命政府の樹立を宣言。その後、チベットでは散発的に抗議運動が発生しており、北京五輪を目前にした2008年3月に発生した暴動と、それに対する武装警察の鎮圧は、世界的な非難にさらされました。 その一方で、2007年にダライラマ14世は「独立」ではなく「高度な自治」を求めると明言していますが、中国当局は「国家分裂を図るテロリスト」という見方を崩しておらず、両者の交渉は実現していません。
■ウイグル(中国)
中国と中央アジアの境界に位置する新疆ウイグル自治区は、チベット自治区とともに、中国の少数民族問題の焦点となってきました。この地には8世紀に西方から来たトルコ系のウイグル人が多く、そのほとんどはイスラム教徒です。清朝による征服を経て、ウイグル人は1944年に「東トルキスタン共和国」樹立を宣言し、隣接するソ連もこれを承認。しかし、1949年に中華人民共和国が成立した後、1955年に新疆ウイグル自治区として編入されたのです。 冷戦終結後、中央アジアでイスラム組織の活動が活発化するにともない、ウイグルでも暴動やテロが相次ぐようになりました。しかし、チベットと異なり、ウイグルには全体を率いる精神的権威や組織がないため、国際世論に訴えて自治権の拡大を目指す世俗的な組織から、アル・カイダとも繋がりがあるイスラム過激派まで、様々なグループがあります。 一方、沿岸部から流入した漢人は既に人口の約40パーセントを占めており、これを保護するためにも中国当局は「厳打」と呼ばれる鎮圧方針を転換する姿勢をみせていません。