スコットランドだけじゃない 世界の「独立予備群」は?
■北アイルランド(イギリス)
アイルランド島は16世紀から17世紀にかけて、イングランドによって占領され、19世紀初頭に完全に併合されました。第二次世界大戦後の1949年にアイルランド共和国が英国から独立しましたが、北東部6州ではイングランド系移民の子孫が多く、その求めによってこの地域は英国に残りました。 経済の実権を握るイングランド系移民の子孫に多いプロテスタントと、アイルランド人に多いカトリックの間の宗派間対立に発展し、1970年代には独立派「アイルランド共和軍」(IRA)による爆弾テロ事件が北アイルランドだけでなくロンドンでも頻発。長引く対立の果てに、1998年には独立派、帰属派の双方が参加する自治政府と北アイルランド議会の設立が合意され、段階的に地方分権が進んできました。 しかし、出生率の変化により、カトリック系人口がプロテスタント系人口に迫ってきたことを背景に、2011年の首府ベルファスト市議会選挙では独立派が過半数を確保。2012年に同市議会が英国旗の常時掲揚を取りやめ、特別な日だけに限る決定をしたことで、帰属派による大暴動に発展するなど、北アイルランドは不安定な情勢が続いています。
■ケベック(カナダ)
カナダ東部のケベックは、17世紀初頭からフランス人の入植が進んだ土地です。1926年の独立以前から工業化が進んでいた英語圏と農業中心のケベックの間には経済格差が大きく、独立後は連邦政府への財政的な依存が大きくなりました。 その一方で、英語系住民が経済的に大きな影響力をもち、連邦政府が外交的に米国に近い立場をとることへの反感が増幅。この複雑な心理状態を背景に、ケベックでは1960年代から分離独立運動が本格化。独立派の「ケベック党」が州議会第一党となった翌1977年にフランス語が唯一の公用語とされ、さらにその後1980年と1995年には独立の賛否を問う住民投票が実施されました。しかし、1980年には60パーセント、1995年には50.6パーセントと僅差ながら、独立反対が賛成を上回りました。英語系住民や新しい移民に加えて、フランス語話者でも年長層ほど独立に反対したとみられます。 とはいえ、現在でもケベックの一人当たり所得水準はカナダ平均より低く、社会不満が後押しする分離独立の欲求は、今もなおマグマのように溜まっているといえるでしょう。