人間国宝の友禅作家、森口邦彦が見出した「作家 須藤玲子」
須藤以外にも候補はいたそうなのだが、この時間で森口氏の心は決まった。「なんの迷いもありませんでした。こんな人が京都にいてくれてもいいのにな。そう思う気持ちと、須藤さんのような方が東京から来ることが、京都にとっていい刺激になるのではという気持ちがありました。仕事への情熱に加えて、作ったものを最後まできちんと売り切るという姿勢にも僕は感銘を受けた。自分の『テキスタイル観』を芯に持ちながら、改革を続けている。その姿勢を京都の人たちに見てもらわなければ。そう思ったんです」。着物の商習慣を知り抜いている森口氏だからこそ、須藤の潔さと信念の強さに大きな魅力を感じたのだろう。
森口氏が後押しした「作家 須藤玲子」を誕生させた「一言」
森口氏からのオファーを受け、ほどなく展覧会開催を快諾した須藤だが、ひとつの葛藤を抱えることになる。それは「展覧会に自分の名前が入ること」。「NUNO」には1984年の設立当初から携わっていたものの、そもそもはテキスタイルデザイナー新井淳一氏が立ち上げたブランドだった。1987年に新井氏が退き、須藤が「NUNO」の中心となる。それでも須藤にとってNUNO=新井氏であり、その布を守り、作るのが自分の使命だと当時は強く思っていた。それなのに自分の名前を表舞台に出すことに、抵抗を感じたのだという。須藤は「森口先生から『須藤玲子という名前を入れるべき』と言われて。最初は抵抗したのですが、『誰が絵を描いているの?誰が決めているの?』とも言われて、ハッとしました」と振り返る。
「この展覧会をきっかけに世界に飛び立ってもらおうと思っていましたから、名前が付いてないといけない。彼女にとってこれが初めて開く展覧会というのは、僕にとっても大きな意味がありました。まだ誰も評価していない、一番フレッシュな創作を行っている人物を京都で紹介するのだという思いもありました。そして未評価のものを評価する能力と度量が京都にはある。僕はそう思っているんです」(森口氏)。