「50歳になったら仕事をやめてゆっくりするよ」→2000年前の哲学者の猛ツッコミが正論すぎて何も言えない…
もちろん、ここでお伝えしていることは新しいものではありません。お金や仕事、仕事上の地位への依存については、かれこれずっと警鐘が鳴らされてきました。ですが、あまりに多くの要因のために、中でも特にこの資本主義のシステムのせいで、私たちはすりきれてぼろぼろの同じ夢にしがみつき続けるのです。 ネットを活用してフリーランスで働いている多くの人が、週7日、1日10時間働き、様々なアプリで手配した小銭を集金します。そして会社勤めをしている人は、仕事をしていないときでさえも仕事を持ち歩きます。スマホやメールで職場とつながっているため、休憩時間でも頭が仕事モードでぐるぐる回っているのです。 人々は、人生を生きるもっと良い方法があるに違いないと気がつき始めています。収入や安定性は減りますが、その代わりに自分の時間を取り戻すことができます。 仕事への考え方を改めるというのは何も新しいことではありません。時間や仕事との関係を見直す人々の系譜はエピクロス学派にまで遡ります。初期のギリシャ・ストア派と対抗していた学派で、参加する人々には共同体での生活や庭の手入れ、黙想し、くつろぎ、哲学の勉強をしながら時間を過ごすことを奨励しました。
● 仕事ばかりに自分の時間を 費やす人生でいいのか? 1845年、ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、田舎で沈思黙考しつつ簡素な生活を送るのにお金がどれくらい必要なのかを明らかにしました。 彼は計算をした上で、2年と少しの間、マサチューセッツの森の中で自然と調和して生きるために最善を尽くしたのです。 1960年代にはヒッピー族が、現在ではFIRE(経済的に自立し早期退職する人々)や、必要最低限のものだけを車に積んで生活する人々が現れました。さらにパンデミック期間を経た今、人生において仕事の果たす役割が大きくなりすぎているのではないかと疑問を持つ世代がいます。 もっと多くの人が時間の貴重さに気づき、生活の中心かつ全体を束ねる原則として位置づけたらどうなるか、想像してみてください。その結果はまさに生き方の革命となり、皆が目を覚ますでしょう。 現在の私たちは、この世で時間を独り占めしているかのような生き方をし、退職するまで、または「いつか」という正体不明のときが来るまで、本当にやりたいことを先送りにしているのです。いつかはもっと旅行し、もっと休み、もっと本を読み、本を書いたり子どもと遊んだりし、あるいは起業し、田舎に移住し、家庭を築くのだと言って。 「人生が終わるときになってようやく本当の人生を始めるなんて、あまりに遅すぎる!」
ブリジッド・ディレイニー/鶴見紀子