「50歳になったら仕事をやめてゆっくりするよ」→2000年前の哲学者の猛ツッコミが正論すぎて何も言えない…
私たちは何かを先延ばししたり、仕事にかまけて自分を見失ったりするのが得意技です。その間にも人生の時は過ぎていくのに、どうやら、自分が時間の奴隷になっていることにはほとんど気づいていません。自分の死について考えることで、今ある自分の時間に全力を注がざるを得なくなります。 ● 時間は唯一無二の価値ある通貨、 だから浪費している暇などない ストア派は時間を重視し、唯一の真の通貨であると見なしていました。最も民主的な通貨ともいえます。物質的な豊かさの度合いと関係なく、時間はすべての人に与えられているからです。(ただし、割り当ての量は人それぞれで、追加の時間はお金では買えないもののひとつです) 私は湯水のごとく時間を無駄遣いしています。1日に何時間もインターネットにはまって、どうでもいい事柄や、来週になったら覚えていないようなつまらないことで議論したりしています。 仕事とはいえず、かといって有意義な余暇でもなく、またじっくり考えをめぐらしたりリラックスしたりしているのでもありません。 古代ストア派なら、インターネットに長時間へばりつくのをきわめてひどい時間の使い方だと言ったことでしょう。札束を手にしたら、私はそれをそのままゴミ箱に突っ込むでしょうか?いいえ。でもどういうわけか、私は自分の時間をネットで食いつぶし、考え直すこともないのです。
時間の浪費は最近新しく出てきた問題ではありません。2000年近く昔にセネカはこう書いています。 「あなたはひとりでも知っているだろうか?自分の時間に価値を見出し、1日の重みを分かっており、毎日自分が死に向かっていることを認識している人を。実際のところ、死がこの先に待っているというのは間違った考えだ。死の多くはすでに我々のそばを通り過ぎている。我々の過去は死の手のうちにあるのだ」 人生において、お金は出たり入ったりしますが、時間は常に減り続けていきます。 時間をさらに借りたり作り出したりはできません。今ある分がすべてであり、どんどん減るばかりで決して積み重なりません。それが本当に認識できたら、自分の生活の整え方が変わります。 ● 時代の変化と共に「自分の時間」を 取り戻すチャンスは増えている 自分の時間が最も貴重であると理解すれば、有意義でない会議を詰め込んだりしなくなるでしょうし、晴れている土曜日に二日酔いを抱えてベッドで過ごしたりしたいと思わなくなるでしょうし、一緒にいて楽しくない人たちと週末どこかに出かけたりしなくなるでしょう。私たちは時間が無限に供給されると考えて無駄遣いしています。心のどこかで、自分は永遠に生きるのだと思い違いをしているのです。