7年間のMotoGPフル参戦 中上貴晶選手がたどり着いた、世界の“頂点”で見た光景│インタビュー
日本人ライダーとして、背負い続けたものの重さは
最高峰クラスでは、日本人ライダーが不在の時期がありました。青山博一さん(現ホンダ・チームアジア監督)がフル参戦を退いた、2015年から2017年までです。そんな中、2018年に中上選手は期待を一身に背負って最高峰クラスにステップアップを果たしています。中上選手が背負ってきたものは相当に大きかったのではないでしょうか。
そう水を向けると、しかし、中上選手は「プレッシャーはもちろんありましたけど、正直、みなさんが思っているほど感じていないんです」と、からりと答えました。少しだけ困ったように、実際のところそう答えるしかないなあ、と言う風に。 「感じていない、と言うと語弊がありますけどね。“プレッシャーがすごかったんじゃないですか、1人で全部背負って”ってすごくよく言われるんですけど、“そうかなあ”って。もちろん最高峰クラスを走る日本人ライダーが僕だけ、ということはわかっているんですけど、それを考えながらレースをしたことはないですね」 「どちらかと言うと、目の前のレースに向けて自分がどれだけ良い準備をして、どれだけ良いパフォーマンスを残せるか、残したい、という考えだけだから。そちらに意識をとられたことは一度もないですね」 確かに、そうなのかもしれません。ライダーたち、中上選手は、やるべきことに全力を注ぎます。MotoGPクラスのタイム結果では、わずか1秒の間に十数名のライダーがひしめき合う世界です。0.1秒どころか、0.01秒をいかに削るか。そこに全てを注いでいます。 「自分の好きなことをしている感覚があるからこそ、だと思いますね。結果を出したい、という気持ちのほうが強いんです。結果を出すためにはチームとミーティングをして、走る前にすっきりした状態にする。そのために、“こういうバイクに乗りたい”と伝えて、走るのがメインです。自分が思い描いているようなフィードバックを得られるわけではないし、問題が発生したりもして、そうなるとその改善に向かうわけです。終わりがない。だからこそ、ずっと常に考えて、話をして、準備をする。という流れですね」 プロモーションなどの面でもライダーの負担が増え、「自分が日本代表として走っている、背負っている、ということを考える時間が無かったです」と言います。 「MotoGPクラスに上がって、週末の時間が本当にあっという間でしたね。Moto2クラスまでは、メディア対応ももっと少なかったし、もっとフリーな時間がありました。MotoGPクラスに上がってから、やることがいっぱいなんです。メディア対応も多かったし、ここ近年はプロモーション活動も多くなっています。昨年(2023年)からは、スプリントレースも増えましたしね」