主役ばかりじゃ良い舞台はつくれない・石井琢朗さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(44)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第44回は俊足好打のチャンスメーカーで、通算2432安打の石井琢朗さん。2024年シーズンはDeNAのコーチとして「下克上」日本一に貢献しましたが、以前は打撃を教えるのが得意ではなかったそうです。(共同通信=栗林英一郎) 【写真】大谷、132億円で13位 世界のアスリート長者番付 1位はサッカー選手
▽投手でプロ入りしたのに、入団会見で憧れの選手に挙げたのは… 少年時代はいろんな野球入門書、打撃編や守備編、走塁編とかあって、山本浩二さんら各チームの名プレーヤーの人たちがモデル。そういう本ばかり読みあさりました。月刊ジャイアンツは柴田勲さんが現役の頃で、柴田さんが1番、張本勲さんは3番を打っていたのかな。その後は「青い稲妻」の松本匡史さんが出てきて、あの世代のジャイアンツファンだったですね。中でも篠塚利夫さん。父は「こういう選手になれ」って。王貞治さんとか長嶋茂雄さんとかじゃなくて篠塚さんだったですね。学童野球の時は篠塚さんの流し打ちをまねしました。 最初は右打ちだったと父から聞いたことがあるんです。でも、やっぱり王さんの一本足打法をずっと見て育ち、打つのは左っていう先入観を持ってたのか、僕には右で打ってる記憶が全然ない。物心ついた時から左でした。中学校の授業で剣道があり、竹刀の握りは右手が上になるんですけど、違和感がすごくあった。だから僕はゴルフは右じゃ打てないんですよ。生粋の左なんじゃないかな。右利きだったら右で打てると思うんですよ。自分の左側から球が来るのを見る感覚はない。右側からの方が見やすい。
ドラフト外でプロ入りした時は投手としての評価ですね。大学進学が決まってたんですけど、もうピッチャーをやめようと思っていたんです。(大学の)セレクションを受けた時はピッチングとかやりましたけど。高校を卒業して、その上のレベルで野球をやるんだったら、投手より野手でいきたいと考えてました。ただやっぱりね、小さい頃からプロ野球選手になるのが夢だったんで、別に野手じゃなくても投手として入れるんであれば、もう入っちゃえみたいな、そんな感じだった。でも、大洋(現DeNA)入団発表の記者会見で、憧れの選手は篠塚さんって言ってました。 ▽38年ぶり日本一は、あの3年間があったから (打者転向2年目の1993年にシーズン100安打を超え)汚いヒットも多かったですし、足を生かした内野安打もありました。それが一応、石井琢朗っていうプレーヤーを構築していく上で、一つの武器。そういうものがないと、この世界でのし上がっていけない。まず若い選手って、そのチームにいる中心選手のまねから入りませんか?形態模写じゃないですけど。僕が打者転向した当初のファームの打撃コーチは高木由一さんでした。第一線で活躍していたのは同じタイプ、足があって内野手っていうところで高木豊さん。彼らをミックスしたようなバッティングでした。