なぜ「寝だめ」は意味がないのか…意外と知らない「睡眠のしくみ」
睡眠物質
今から100年以上も前、「睡眠圧」の実体に迫ろうとした日本人の研究者がいる。当時の愛知県立医学専門学校(現在の名古屋大学医学部)で研究していた石森國臣は、イヌを用いた実験で、「睡眠圧」の実体を成す睡眠物質を特定しようとした。起きている間に蓄積して眠りへと導き、眠ることで減る物質である。 石森はイヌを断眠させ、そのイヌの脳から得た抽出物を別のイヌに注射したのだ。すると、注射されたイヌは、十分な睡眠をとっていたにもかかわらず眠りやすくなった。脳から得た抽出物に、睡眠物質が含まれていると考えると説明がつく。フランスのアンリ・ピエロンも同様の実験を行って、睡眠物質の存在を示唆している。 石森やピエロンの実験を皮切りに、睡眠物質の研究が盛んに行われてきた。今日では、プロスタグランジン D2(PG D2)などが同定されている。PG D2は、断眠中に脳内に蓄積し、眠りへと導く作用をもつ。こうした睡眠物質によるしくみを、「睡眠の液性機構」と呼ぶことがある。「睡眠圧」の実体としての睡眠物質──非常に分かりやすい理論だが、その後の研究で、どうやら「睡眠圧」のしくみは、そんな単純なものではないことが分かってきた。その実体は、未だはっきりと分かっていない。 「睡眠圧」のしくみは、睡眠科学で最もホットな話題の一つだ。「なぜ私たちが眠るのか」の答えは、そこに隠されているはずだ。
金谷 啓之