「境界」が生み出す宗教性
ことばに血が通う
もうひとつ、若くして亡くなった人に関する逸話を取り上げます。ネットの記事で読んだのですが、あるお寺の住職が若い時分に友人から「門松は冥途の旅の一里塚」と書かれた年賀状を、お正月にもらったそうなんです。その時は「こんなことを年賀状に書いてくるなんて、彼らしいな」と思った程度だったらしいのですが、その後、その友人が難しい病気に罹患していることを知り、ついにはお亡くなりになったとのことです。 それ以来、この「門松は~」が、とても怖いことばになったそうです。この狂歌は、一休宗純の作とも言われ、かなり人口に膾炙しています。私も小学生の頃に学校の先生から教えてもらいました。みんながめでたいと浮かれるお正月気分に、冷や水をあびせるような一句です。アイロニーとユーモアを含んだ警句にもなっていますよね。この句を聞いたとて、「まあ、そうだよね」的な受け止め方になりそうです。しかし、この住職のように、ある時からすごく怖くなるものを内包していたんですね。ことばを贈った人の思いと、受け取った人の体験とが組み合わさって、お正月のたびに思い出されるこの狂歌は「ノド元に刃を突きつけてくる」ことばになり、「お前はしっかりと生きているのか」と問うものとなったのです。 つまり、あくまで妄分別であることばですが、そこに思いと体験とが組み合わされると、血が通うと言いますか、ことばが血肉化する。ことばの特質や虚構性をしっかり自覚した上で、我々はことばと向き合わねばならないのですが、その時に、ことばと思いと体験との組み合わせという重要な問題があります。これは「生ける概念」と「死せる概念」につながると思います。
境界に強い魅力を感じる人たち
前回のお手紙には、聖と俗の問題も述べられていました。これはまさに宗教の根幹に関わる案件です。私は聖と俗の境界、いや境界そのものに関心があり、境界へと近づく歩みも宗教心の一面だと捉えているのです。 実は、境界へとおそるおそる歩みを進める姿勢を、遠藤周作の作品から学びました。私にとって遠藤作品は、安易に私を信仰の領域へと連れて行こうとしないところに魅力がありました。信仰の領域の少し手前、聖と俗の境界まで、人間観察によって迫って見せてくれる、そこにしびれました。 「何かこの先にはすごそうなものがある」「近づいたら怖いんじゃないか」と感じる、境界線のあたりに歩みをずーっと進めていって向こう側を覗こうとする。 そのおそるおそる近づく行為自体も宗教的な営みだと思います。そしてその境界線上には聖と俗が入れ子状態に交錯している。 境界は、聖と俗のみならず、生と死、自己と他者、エロスとタナトス、日常と非日常、昼と夜など、いたるところにあります。そして、古来、人類は境界を警戒し、敬い、畏れ、慎重に丁寧に扱おうとしてきました。さまざまなタブーも、境界に関するものが数多くあります。そして、境界には独特の魅力もあります。境界からは宗教性や倫理やアートや音楽などが生まれます。とてもクリエイティブです。ですから、あぶない境界に惹かれた人は少なくありません。 以前、作家の髙村薫さんのお話を聞いたことがあるのですが、深い宗教心を感じました。でも髙村さん自身は「決して宗教を信じることはできない」「信仰をもつことはない」とおっしゃっていました。でも、私は「髙村さんは境界に強い関心があり、自分の歩みでぎりぎりまで近づこうとしている。それ自体が宗教性ではありませんか」と伝えました。 同様に、水木しげるさんも境界に強く惹かれる人だったのではないかと感じます。水木さんも特定の信仰はなかったらしく、というかそのあたりはとてもルーズだったそうです。でもいつも見えない世界へと心をはせる人だったとのことで。妖怪って、境界周辺にある〝宗教性の断片〟みたいなところがあるでしょう。きちんと体系化されていない、という意味での断片です。水木さんの作品には、弱い人や貧しい人や排除される人がよく描かれているのですが、そういう人たちが境界周辺にいると実感していたんじゃないでしょうか。 聖と俗との境界について書いてみましたが、よくよく考えてみると、境界が融解した事態を聖性と呼ぶとも言えそうです。次回はもう少し境界と聖性について書こうかと思います。 もはや紙幅が無くなってしまいましたが、若松さんの先の書簡にはまだまだ言及したい案件があります。聖堂と自己への知見には、教えられました。そして、この問題は、ナーガルジュナが説いた「空だからこそすべてが可能となる」や、ティク・ナット・ハンが積極的に意味づけた空、につながると思います。これについては、いずれ「空」についてお話しする際に書かせてください(このところ、このようにこれからの課題を挙げての擱筆が続いております……、いつまで続ける気なのか……)。 (以下次号)
釈 徹宗