財務省vs厚労省「不毛な抗争の歴史」…国民から集めた金を配ることで権限を得る財務省、社会保険料をしぼり取る厚労省
わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇 #3
元明石市長で政治家の泉房穂さんは2003年と2004年に衆議院議員を務めている。そのとき彼を応援していたのは財務省の官僚だったという。しかし、彼らには厚労省を潰すという目的があり…。 【画像】泉房穂が師と仰ぐ、石井紘基氏 任期中に目の当たりにした何とも無駄な財務省と厚労省の戦いの様子と、戦後からの歴史を書籍『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』より一部抜粋・再構成し紹介する。
財務省対厚労省、抗争の歴史
弱者救済のための議員立法に駆け回っていた議員時代。法務省、厚労省、内閣府の委員会など、各関係省庁の官僚と仕事をしましたが、当時の私を応援していたのは、なんと財務省でした。この背景には「財務省対厚労省」の省庁間の抗争があり、財務省は私を使って、「厚労省潰し」を画策していたのです。 当時、やたらと私の部屋に来る財務官僚がいました。事あるごとに彼は、秘密の情報を私にくれます。その情報は、なぜか厚労省の不備や不始末に関するものばかりでした。「なぜそんなことを?」と不審に思ったのですが、私に情報を流すことで、厚労省潰しのリークを目論み、また私のことも自分たちの配下に置こうとする。 官僚組織の権謀術数を目の当たりにして、私は呆れつつも「すごいなあ」と妙な感心をしたものです。 戦後の政治の歴史は、「財務省対厚労省」の抗争の歴史でもあります。戦後の復興予算を一手に握ってきた旧大蔵省(財務省)は、つねに中央省庁のトップに君臨してきました。 国民の税金は全部自分のところに集めて、他の省庁に対しては、自分たちに頭を下げた人間に金を渡していく。戦後一貫して、財務省は税金を源泉とした巨大な権力を行使してきました。 ところが厚労省は、それが許せませんでした。 つまり、財務省がお金を集めたところで、道路やダム、港湾建設などの公共事業に優先的に流れていき、福祉は後回し。だから、自分たちで財源を確保しようということで、厚労省は保険制度に活路を見出し、1961年の医療保険、国民年金に始まり、さまざまな保険を作り、2000年には介護保険を作りました。 保険制度は、財務省とは直接の関係がありませんから、厚労省は別ポケットで、自分たちのお金(国民の保険料)を集めることができます。実際は、年金も現行制度の財源は保険料と税金のミックスで、介護保険も、財源の半分は税金ですから、財務省と無関係ではないのですが、そうは言っても別ポケットの財源です。 そのように財務省と厚労省との戦いがあり、政局の裏側にも、「財務対厚労」の戦いがありました。