財務省vs厚労省「不毛な抗争の歴史」…国民から集めた金を配ることで権限を得る財務省、社会保険料をしぼり取る厚労省
国民そっちのけの、財務省対厚労省の戦い
1993年に石井紘基さんが初当選したときの、日本新党・細川護煕首相は、財務省派(当時大蔵省)の議員でした。大蔵省をバックに細川首相は、「国民福祉税」の名目で消費税増税を目論みますが、福祉を管轄する厚生省(現・厚労省)と世論の猛烈な反発を受けて頓挫、細川政権は退陣となります。 その後、「厚生族のドン」と呼ばれた橋本龍太郎が1996年に首相となり、厚生省が力を持つようになります。橋本首相は介護保険法を成立させましたが、橋本内閣では前厚生事務次官が汚職で逮捕され、実刑判決を受けます。 これは財務省によるリークで、厚労省潰しを目的としたものでした。2000年代以降も、年金に関する国会議員の不祥事がリークされ、2007年には「消えた年金問題」が明るみに出て、厚労省は力を失います。そして2009年に、自民党から民主党への政権交代が起こります。 財務省は、自分たちの手元の金を増やそうとして増税をする。厚労省は、財務省に負けじと、国民に負担を課して保険制度の拡充をはかり、保険料を上げていく。だから今も現在進行形で、増税と保険の負担増が続いているのです。 国民そっちのけの、財務省対厚労省の戦い。私たち国民からすると、官僚が頑張れば頑張るほど、負担が増える構造です。官僚も政治家も、国民のことなど見てはいません。
事業仕分けを主導していた財務省
1993年と2009年に、自民党系ではない2度の政権交代が起きていますが、注目すべきは93年の細川政権も、09年の民主党政権も、「財務省派の政権」だったということです。 細川政権では「国民福祉税」の名目で、消費税の7パーセントへの引き上げを目論み、民主党政権では、「社会保障と税の一体改革」として消費税10パーセントの負担を国民に課すことを決めました。消費税10パーセントを「実行」したのは、その後の安倍政権ですが、「決定」したのは財務省主導の民主党政権のときです。 また民主党政権では2009年、「事業仕分け」の名目で、国家予算や公共事業の見直し、そして石井さんが追及していた公益法人、独立行政法人の廃止・移管などが行なわれました。 しかし、その実態は財務省の言いなりで、財務省がかねてより仕分けようとしていた各省庁の予算や部門をカットするにとどまり、利権は温存されたまま。国民にとってなんのプラスにもならない仕分けでした。 たとえば、児童虐待に関する研修センターが仕分けの対象になりました。当時から、虐待で数多くの子どもの命が奪われ、専門性のある職員が必要な状態でした。 本来ならば都道府県ごとに作る予定だった研修センターは、当時全国に1カ所しかなかったのに、それさえ財務省は「ムダ」と判断して、仕分けの対象にしたのです。「そのような施設など潰してしまえ」ということでしょうか。 それから10年以上、研修センターは新設されないのですが、2011年に私が明石市長となり、かねてより親しくしていた自民党の塩崎恭久さんが2014年に厚労大臣となった際に、塩崎さんに研修センターの必要性を説き、力を貸していただきました。 土地は明石市が提供し、施設と人件費は国が予算を持つという関係性で、2019年に、全国で2カ所目となる「西日本こども研修センターあかし」を設立する運びとなったのです。 行政改革の名の下に、子どものための施設を仕分けようとする。財務省が主導して、民主党政権が実行した事業仕分けが、国民の側に立っていなかったことの1例です。他にも重箱の隅をつつくような仕分けが行なわれ、本当に必要なところにはメスを入れず、石井さんが指摘していた利権の本丸は温存されたままでした。 当時の民主党の主流派の議員は財務省派でした。現在の「野党第一党」である立憲民主党が、減税に消極的なのも財務省に気をつかっているからでしょう。 若手の優秀な財務官僚は、与野党問わず有力な政治家の担当となり、情報を提供します。政治家も官僚を可愛がり、知らぬ間に財務省の価値観に染まっていきます。もし政治家が楯突くようなことがあれば、官僚がその政治家のスキャンダルをリークして、潰します。中央省庁に君臨する財務省には、各省からの情報が集まるし、直下の国税庁も動かすことができます。 政治家にしてみれば、財務省に頭を下げれば出世できて、怒らせると首が飛ぶ。財務省は与党と野党の首根っこを押さえて、政権がどちらに転んでも、盤石の体制を築いています。したたかな組織です。 石井さんが「官制経済」と喝破した日本の官僚主権国家では、官僚がつねに政治の上にいるため、官僚の軍門に下っている与野党が政権交代をしたところで、国民は救われないのです。