「証拠ないだろ」「病院行ったら?」5歳で12歳男子から性加害を受けた「男子大学生」に、加害者の父親が放った「衝撃の言葉」
「証拠はないだろ」とすごまれ…
その後もマンション内で加害者家族と顔を合わせる機会がたびたびあったが、”償い”の真意はわからなかったという。そこで今度は加害児童の母親を呼び出して話をすることにした。 「驚いたのは、加害児童の母親が夫から何一つ聞いていなかったことです。仲良しのご近所に遊びに来るようなラフな格好で現れて、『やっほー』みたいなことを言っていたと思います。過去の性暴力について伝えると、『気持ちが悪くなってしまった』と言っていました。今後こうしたことのないように対策を講じてほしいと伝えると、『わかった』とだけ言って去りました」 この一件以来、変化はなにもないと岡田さんは話す。対策を講じると口約束をしたものの、先方からの謝罪もなければ、建設的な話し合いもない。そればかりか、加害児童の家族は岡田さんを腫れ物として扱った。 「それ以来、加害児童の母親からはすれ違うと睨まれるようになりました。 昨年のあるとき、私が乗るエレベーターに加害者家族が乗り込んできました。他にも乗っている人がいたのですが、ちょうどその人が別の階で降りると、加害者家族も私から逃げるようにして続いて出ようとしたのです。 私は彼らに向かって『自分はこんなに苦しんできたのに、何もなしか?』と訴えました。すると父親が『病院に行ったら?』とせせら笑うように言ってきたんです。病院にはすでにかかっている旨を伝えても『(性暴力の)証拠はないだろ』とすごんできました。押し問答の末、彼らは非常階段から逃げていきました」
「触られる恐怖」はいまだ抜けない
筆舌しがたいほどの屈辱と恐怖を味わう性暴力。勇気を振り絞って被害体験を語った先で、岡田さんは二次被害に遭ってきた。その辛さをこう話す。 「もちろん、性暴力を受けた事実は非常に辛いものです。正直、死んでしまいたいと思うことも多くありました。過去のフラッシュバックなどがあって満足に活動できなかったため、他の人たちのような青春を過ごす選択肢さえ、私にはありませんでした。実質的に人生の貴重な時間を過去の性被害体験に支配されたようなところもあります。 そして、性被害を告白したのに矮小化されたり、場合によっては説教をされるなども経験しました。自分の味方が世界に誰もいないのではないかという孤独感を味わう経験もまた、辛いものでした。特に、親や精神科医からの理解が得られなかった時期は暗澹たる気持ちで過ごしていました。 現在は、私の被害事実について母が正確に理解してくれて、涙を流して話を聞いてくれたことでいくらか救われた部分があります。また、私の背景を理解して交際してくれるパートナーもおり、その存在に助けられる部分があります。SNSを通じて、性暴力の被害者同士が交流することもあるため、自分がひとりではないと感じられる場面も多くなりました」 だがそれでも、拭えない感覚はなお岡田さんに残り続ける。 「たとえばパートナーに身体を触れられるのは、本来であればとても喜ばしいことなはずです。性的行為も、心を許した相手であれば嬉しいものです。それなのに、私は自分の身体が汚れていると常にどこかで考えていて、あるいは触られる恐怖が完全には抜けなくて、パートナーを拒絶してしまうことがあるんです。心から好きなのに、相手を暗い気持ちにさせていることが申し訳なくて、自分が情けなく思う瞬間が未だにあります」
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