”無職”の間に可能性を広げたサッカー元日本代表…恐怖も、痛みも、楽しさも、喜びも知ったプロ生活、引退後のフィールドで何を『つなぐ』のか楽しみだ
◇記者コラム「Free Talking」 「215.4万」。サッカーJ3ガイナーレ鳥取の公式X(旧ツイッター)でクラブ史上最多となる表示回数を記録した。元日本代表MF長谷川アーリアジャスール(36)の引退とセレモニーを知らせる投稿。クラブ広報が「これまで反響があったものでも50万回前後だったので、かなり異例です」と驚く数字だった。アーリアが11月17日のホーム最終戦後の引退スピーチで涙ながらに「僕はもう、あそこで一度引退したと思っていました…」と振り返った約1年半前には想像もできない現象だった。 2023年の春―。東京・渋谷区の代々木公園サッカー場で“無職”のアーリアに会った。前年に主力としてプレーした町田で「まさか」の戦力外となり、新シーズンが始まってもチームが決まらず就職活動中だった。コンディション維持のため地域リーグのクラブ「SHIBUYA CITY」に練習参加していたが、正式メンバーではないため紅白戦中は元日本代表MFがボール拾いもしていた。桜の花びらが舞う季節。若者が集う公園の華やかさとは対照的な姿があった。 練習後、初老記者と無職のサッカー選手はキラキラする街でランチをした。イラン人の父と日本人の母を持つアーリアはフォークでパスタを巻きながら静かに言った。
「寝ている間に無意識に泣いている時もある。朝、起きて気付くみたいな。前向きに時間を使っているけど、心の奥底でどこかで苦しいのかな。でも、プロにはこだわっています。期限は6月まで。それまでに国内、海外からオファーがなかったら引退しますよ」 Jリーグが発足して30年。裾野は広がり、アマチュアリーグで給料をもらってプレーする元J選手もいる。だが、アーリアは半年間、通帳の数字が減っていく中でも、プロリーグにこだわっていた。その記憶は強く残っている。会った翌月には鳥取からオファーがあり、半年の空白期間を経てプロサッカー選手に戻った。 「支えてくれた家族のためにも、もうひと花咲かせてきます」と連絡がきて、「ランチのお返しに鳥取のカニをごちそうするので来てくださいね」と付け加えられていた。ダイナミックかつ気の利くプレー同様に“らしい”メッセージだと思った。 その後、約束を果たせずにいたが、今年11月10日の鳥取-今治戦に足を運んだ。引退セレモニーのあるホーム最終戦の1週間前の試合。首を痛めたアーリアはベンチ外で、試合前にはサイン会、試合後は背番号と同じ「33」人を招待している小学生と交流していた。 忙しい合間を縫って鳥取での単身赴任生活を教えてくれた。昨年末には33社の協賛企業を集め、スタジアムのある鳥取市とクラブハウスのある米子市でサッカーフェスティバルを開き、計400人の子どもたちを無料招待したという。 「無職だった半年間、将来も考えて経営者とも会っていた。考えの幅も広がったし、勉強にもなった。チャンスをくれた鳥取に来て何か恩返しできないかなと思って。自分で会社を立ち上げて、無料のサッカーフェスティバルを考えて、クラブやチームメートにも相談をして、企業を回ってお願いもした。プロサッカー選手ではなかったあの半年間があったからできた企画だった」 12年前―。FC東京時代に取材したアーリアとはひと味違った。3児のパパ。大きな背中がそこにはあった。