”無職”の間に可能性を広げたサッカー元日本代表…恐怖も、痛みも、楽しさも、喜びも知ったプロ生活、引退後のフィールドで何を『つなぐ』のか楽しみだ
横浜Mでは開幕戦から華々しく18歳でデビュー、FC東京ではザックジャパンに招集され、ファンに歌い継がれるチャント(応援歌)も生まれた。その後、C大阪、サラゴサ(スペイン)、湘南、大宮、名古屋、町田と18年間で9クラブを渡り歩いた。まだまだ技術はさび付いていない。だが、無職を経験した36歳は、田園に囲まれたのどかなスタジアムのスタンドからピッチを見つめながら優しい声で言った。 「引退は自分で決められる時にしたかったし、単身赴任で子どもたちにも寂しい思いをさせている。次に進む時だと思った。お世話になったクラブには直接、引退の報告をしましたよ」 引退発表すると過去に所属したクラブがXでねぎらいや感謝の言葉を次々にポスト。1つのクラブに長く在籍はしなかったが、どう愛され、残し、別れたか分かる。SNS上で輪は広がり、引退発表の投稿は「215.4万」回以上表示された。 そして、引退セレモニーでは大きな『おまけ』もついた。鳥取だけでなくさまざまなクラブのユニホームを着たファンが見守る中、3兄弟を代表して長男ロイくん(9)が、笑って、泣ける感動的な手紙を読み上げた。 Jリーグの公式Xにも動画が投稿されると、「Jリーグの歴史に残るお手紙でした 号泣」「これは反則級に泣くわ」「日本一の家族」などのコメントが並び、156.2万回表示されるなどJ3では異例の現象となった。1年半前に一度は途切れたプロの道。もう一度、取り戻した先に待っていた光景は「最高でした。幸せですね。でも、反響がすごい」。アーリアは喜びとうれしい驚きを口にする。 恐怖も、痛みも、楽しさも、喜びも知った17年半と半年の浪人期間。今後は「日本サッカーに貢献したい」と言葉に力を込める。身長186センチのダイナミックなプレーも魅力だったが、個人的にはきれいな回転で出す正確なインサイドパスが好きだった。 公式戦480試合44得点。思いを込めたパスで人と人をつなぎ、チームに美しい調和をもたらした。次のフィールドでは、新たに何を『つなぐ』のか。今度はキラキラな街ではなく、初老が集まる新橋の居酒屋でゆっくり聞いてみたい。(元サッカー担当・占部哲也)
中日スポーツ