スパイ記録の中からプーチン氏「秘密警察」時代の職員証 ベルリンの壁崩壊後 抗議に来た市民を銃で脅し…ロシア市民への弾圧の原点か【news23】
ウクライナ紛争について「24時間以内に終わらせる」と主張したトランプ次期大統領に対し「まともにとりあう必要は無い」と突き返したプーチン政権。ロシア国内で市民が反戦の声を上げても、たちまち制圧されてしまいます。なぜこうした厳しい対応をとるようになったのか?秘密警察時代のプーチン氏の原点に迫ります。 【写真で見る】東ドイツ“秘密警察”で活動 プーチン氏の「職員証」 ■6年前に見つかったプーチン氏の“秘密警察”の職員証 大量のスパイ活動記録 6年前に見つかった、1枚の職員証。 そこにはドイツ語で「ウラジーミル・プーチン」と直筆で書かれています。当時、33歳だったプーチン氏の職員証です。 シュタージ文書館 ドレスデン支部長 「とても驚きました。この職員証は、ある資料の束の中にありました。特にプーチン氏のものとは書いてありませんでしたし、そこに挟まっていたとは思いもしませんでした」 長年、保管されていたのは、ドイツにあるシュタージ文書館。 「シュタージ」とは、東西冷戦の時代に旧東ドイツに存在していた“秘密警察”のことです。 ネクタイに小型カメラをつけて盗撮したり、日用品の中にカメラを仕込むなどして一般市民を徹底的に監視。反体制派の摘発や国外での情報工作を展開したほか、数多くの一般市民を情報提供者=スパイに仕立て上げ、暗躍しました。 かつて首都ベルリンにあったシュタージの本部。 秘密裏に活動していたシュタージの「当時の記録」が残された場所にカメラが入りました。 ベルリン・シュタージ文書館担当者 「ここにあるのは非公式情報提供者、スパイに関する文書です」 仁熊邦貴記者 「すごいですね。大量の資料が保管されています。この資料の中には、一般市民の中で誰がスパイだったかが記されているということです」 保管されていたのは約30年にわたる、スパイ活動で集められた記録です。 仁熊記者 「こちらはスパイの履歴書です。この一般市民の方がクヌート・ヤコビという名前でスパイ活動をしていました。スパイになったのは1975年5月14日と書かれています」