スパイ記録の中からプーチン氏「秘密警察」時代の職員証 ベルリンの壁崩壊後 抗議に来た市民を銃で脅し…ロシア市民への弾圧の原点か【news23】
この人物の記録には、特定の車を追跡し何時にどの道を通ったのかが詳細に記録されています。 中には、シュタージによって証拠隠滅のために破られた記録も… 修復作業が続けられていますが、作業が終わるのは数百年先とも言われています。 こうした膨大な資料の中に紛れていたのが、6年前に見つかったプーチン氏の職員証。それは「シュタージの職員証」でした。 1980年代にソ連の諜報機関である国家保安委員会=KGBに所属し、東ドイツ・ドレスデンに派遣されていたプーチン氏。 職員証を使い、シュタージの施設に出入りしていたと見られ、他にもシュタージの幹部と写った写真など数多くの資料が見つかっています。 KGBとシュタージについて研究 ダグラス・セルベージ博士 「KGBの主な業務は西側のスパイや情報源をスカウトすることでした。(KGBは)シュタージより偉いとされていましたから、シュタージと東ドイツ政府は彼らに仕えたのです」 仁熊記者 「プーチン氏はどんな情報が欲しかった?」 ダグラス・セルベージ博士 「正確にはわかりませんが、西ドイツにある米軍基地に大変関心を寄せていたそうです。アメリカの特殊部隊がそこに駐屯していたのです。彼らの動向を探るために近くに住んでいる人を情報源として探していました」 ■市民を銃で脅し…プーチン氏の原点か 仁熊記者 「こちらに古い建物があります。当時のKGBドレスデン支部がここに入っていました。プーチン氏は5年もの間、ここで働いていたとみられています」 アメリカ軍の動向を探っていたとされる、プーチン氏。 当時、シュタージへ宛てたこんな文書も見つかっています。 プーチン氏 「一般市民のスパイと連絡が取れなくなった」「至急支援してほしい」 5年にも及んだ、ドレスデンでの任務。しかし、その終わりは突然訪れます。 1989年11月9日。分断の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊。 民主化の動きが一気に加速しドレスデンでも、市民を監視していたシュタージに対し市民らが抗議の声を上げました。 デモを呼びかけた一人が当時の状況を語りました。