スパイ記録の中からプーチン氏「秘密警察」時代の職員証 ベルリンの壁崩壊後 抗議に来た市民を銃で脅し…ロシア市民への弾圧の原点か【news23】
当時デモを呼びかけたヘルベルト・ヴァーグナーさん 「抗議する市民の中には怒っている人がたくさんいました。『自分に対するスパイ行為の文書を見たい』と叫ぶ人がたくさんいました」 抗議の声を上げたのは約5000人。一部はKGBの建物にも向かったと言います。 デモを呼びかけた ヘルベルト・ヴァーグナーさん 「デモの参加者が守衛のところでベルを鳴らすと、私服姿の若い男が門のところに出てきたそうです。男は流暢なドイツ語で『無許可で敷地に立ち入れば、銃を使用していいと命令を受けている』と。そう言って守衛と共に武装していた男がプーチン氏でした」 ヴァーグナーさんは“当時の経験が今のプーチン氏に影響”を与えていると話します。 ヘルベルト・ヴァーグナーさん 「プーチン氏が撃つぞとひどく脅すと、市民はみんな逃げていきました。声をあげた市民らを武器で脅すことで、言いなりにするという経験をそこでしたのだと思います」 ■今のロシアは「東ドイツと同じ」繰り返される市民への弾圧 2年前にウクライナへの侵攻を始めたプーチン大統領。 ロシア国内では、反発して声を上げた市民への弾圧、拘束が繰り返されています。 こうした光景を自身と重ね合わせるように見ている人がいます。 「シュタージ」に拘束された ハンス・ユルゲン・バートさん 「かつての東ドイツと同じです、恐怖心、恐怖心、恐怖心。東ドイツでは何も言ってはならなかった、今のロシアも同じです」 47年前、バートさんはシュタージに監視される中、「東ドイツの奴隷ではない」というプラカードを掲げ、拘束され勾留施設で4か月半にわたり収容されました。 ハンス・ユルゲン・バートさん 「どんな仕事をし、どこに住み、どこで休暇を過ごすか、自分で決めたかったのです。何もかも国に決められのが嫌だったのです」 ベルリンの壁が崩壊から35年。 当時を生き抜いた市民らは平和や自由、民主主義の大切さを今も訴え続けています。 ■若き日のプーチン氏 市民の声 恐れたか ロシア国内弾圧の原点? 喜入友浩キャスター: 取材した仁熊記者によりますと、秘密警察の記録には、「父親がスパイで娘を監視していた」という記録もあって、その後、娘は父親との縁を切ったという話も残っているそうです。