攻撃の対象になり続けているガザの医療施設 日本人医師「医療を必要としている人たちを代弁したい」と模索
昨年10月7日、イスラム組織ハマスによる攻撃への報復として、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年余り。いまも攻撃は続き、これまでに4万4千人を超える犠牲者が出ている。さらに、食糧不足や衛生面の悪化など人びとの生活状況は深刻だ。昨年10月の攻撃後に届いた派遣要請に応じ、同11~12月にガザに入った国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子さんは、帰任後も取材や講演等で現地の状況を証言し、停戦を訴え続けている。当時の日記をもとに、現地の状況を伝えてきたこの連載も今回が最終回。戦況が悪化し、ガザから退避した当時の日記とともに、中嶋さんに現在の思いを綴ってもらった。 【実際の写真】たき火のある場所へパスタを調理をしに行った時に近所に住む市民らと * * * 《2023年12月3日の日記から》 昨日は思ったほど爆撃が多くなかった。引っ越しに向けて荷物をゆっくり整理して子どもたちとちょっと遊んで、残していくものをあげた。みんなを残して、ここよりももっと安全なところにいくというのは複雑で寂しい。 夜、久々にブリーフィング。まず家のことについて、そしてセキュリティーについて。Nasser(ナセル病院)も遅かれ早かれターゲットになる、と。 夜ごはんをみんなで食べた。シャワーはやばかった。今までで一番ちょろちょろだし、プライバシーもないし。いくつもflare bombs(照明弾)を目撃した。寝る前に、地上作戦開始のニュースを見た。 《12月4日の日記から》 昨日は思ったより砲撃音がうるさかった。朝起きてご飯はなさそうで、クッキーを食べて病院へ行こうとしたら、朝食が来た。朝ごはんは久しぶり。 ナセル病院ではER(救急科)は朝は内科的な患者さんばかりだった。低血糖症の患者さんがなぜかすごく多い……あと、精神科の患者さんもいたけど、精神科のドクターがすぐ来ててびっくりした。少ししたら空爆を受けた患者さんが大量に運び込まれてきた。 病院のスタッフも不安そう。(11月10日にイスラエル軍に包囲されたガザ地区最大の病院)シファ病院のように包囲されるのが心配で来なくなったドクターもいたり、みんな次はナセル病院がやられると思っているみたい。 帰ってシャワーを浴びて下着類を手洗濯して、ご飯を外で食べた。 今も爆撃がうるさい。ずっと鳴りやまない。銃声もすごい聞こえる。結構近いんじゃ。 部屋に戻ると同室の同僚が電話しながら泣いてるし、別の同僚はカリカリイライラしている。