攻撃の対象になり続けているガザの医療施設 日本人医師「医療を必要としている人たちを代弁したい」と模索
いくら戦争でも最低限のルールがあります。医療施設への攻撃は国際人道法に違反しています。しかしMSFが活動している医療施設は攻撃の対象となり続け、1年前の戦闘激化からMSFの医療スタッフだけで8人も殺害されています。こうした医療従事者や施設への攻撃をMSFはさまざまな場で強く非難しています。しかしその努力もむなしく、つい約2週間前の11月28日にも、ガザの人道援助安全地帯にあるMSF医療テントから70メートルの至近距離の場所が空爆されました。 現在、ガザの中での医療活動は全てイスラエル軍のコントロール下に置かれています。人道援助に必要な物資の搬入も、活動する場所も、全てイスラエル軍の許可が必要です。常に「モノを言う」MSFも、イスラエル軍の機嫌を損ねたら一瞬にしてガザに居られなくなり、医療援助活動ができなくなってしまいます。MSFは、現地で医療を必要としている声なき人たちの代弁をどこまで声を大にしてできるのか、常々模索しています。そして今現在もそのあんばいについて組織内で議論が続けられています。 現在海外メディアがほぼ入れないガザに入ることができる数少ない人道援助団体として、ガザに存在し続け、医療援助活動を続けることが最重要、最優先だと私は思っています。でも声もあげなくてはいけない。これがMSFの原点でもあるからです。 戦闘激化後の停戦は、これまでのところ2023年11月24日から30日の7日間だけです。当時、私はガザにいました。停戦中は、ずっと鳴りやまなかったドローンの音がぱたっと聞こえなくなり、ほっとした表情をしている人たちが街中にいました。空爆で破壊された家に何か残っていないか、少しでも残っていれば取りに行きたいと、ここぞとばかりに移動をしていた人々が多くいたのを覚えています。それが、14カ月間の紛争のうち、あの短い期間だけだったなんて、ほっとできない期間がこんなにも続いているなんて、想像もできません。 「一番つらいのは結婚式の写真が無くなってしまったことです」 現地の若い男性の言葉が、なんだかとっても印象に残りました。人間が人間を戦争で攻撃できるのは相手を人間として見なくなった時です。お互いに自分たちの正義があり、それを正当化してしまいます。 私は海外派遣を重ねれば重ねるほど、世の中の不条理さを感じます。特に今回のガザ派遣がそうでした。今でも、温かいお風呂、おいしいご飯、家族との団欒(だんらん)など、普通の日常が、ガザのような紛争地ではものすごくぜいたくなのだと罪悪感を覚えます。でも罪悪感でくじけている場合ではなく、自分にできるせめてものことを、同じ志を持つ仲間たちと一緒に行っていきたいと思っています。 私たちMSFは、即時かつ持続的な停戦、医療への攻撃をやめること、人道援助物資の十分な搬入を訴え続けます。そして、もっとたくさんの方々に「そーだそーだ!」と、一緒になって声を上げて応援して頂けるとありがたいです。 ※AERAオンライン限定記事 中嶋優子(なかじま・ゆうこ) 東京都出身。東京都立国際高校、札幌医科大学卒業。日本と米国の医師免許を持つ。日本で麻酔科医として勤務の後2010年に渡米、救急医療の研修を開始。2014年に米国救急専門医取得、2017年には日本人として初めて米国プレホスピタル・災害医療専門医を取得。国境なき医師団には2009年に登録。2010年に初めての海外派遣でナイジェリアで活動し、その後もパキスタン、シリア、南スーダン、イエメン、シリア、イラクで活動。2023年11~12月にかけてパレスチナ自治区ガザ地区で活動した。2017年より米アトランタ・エモリー大学救急部の助教授を務め、24年9月からは准教授職に。