攻撃の対象になり続けているガザの医療施設 日本人医師「医療を必要としている人たちを代弁したい」と模索
ナセル病院付近の攻撃激化を受けて、MSFと保健省医療スタッフの一部は同病院から一時退避することを決定した。その後、周辺の支援先病院でも活動継続が困難になり、MSFは状況を総合的に判断した上で、私(中嶋)を含む海外派遣スタッフの一部を交代させるべく、7日朝に同チームをエジプトに越境させた。 《12月8日の日記から》 昨日はあまり寝られなかった。帰った時のことなどいろいろ考えて……夫になんとか連絡が取れた。早く会いたい。 朝8時出発の予定だけど、9時にまだGOが出ていなくて待機中。するととりあえず出てみようと決定し、「医療的な理由」にしてみんな病気を患っているふりをするように、と言われた。 検問所のあるラファに向かう。ラファでもいくつか爆撃された建物が目につく。避難所や立ち上げ中のテントなどがたくさんあった。出国手続きはスムーズだった。いつも頼りがいのあるナショナルスタッフがいる。 ラファ検問所通れたー。パスポートを預けたっきりしばらく戻ってこなくて待ったけど、国境を越えると顔なじみのスタッフがいた。なんだかうれしい。ドライバーさんが頑張ってくれて、シナイ半島をずっと飛ばしてくれて、約6時間かけて一気にカイロまで。ホテルに着いたら、新しいチームの人たちがたくさんいた。 《そして、今》 2023年10月7日のガザへの攻撃開始から1年と2カ月も経ってしまいました。私は、戦闘激化後に初めてガザに入った国境なき医師団の緊急医療援助チームの一人でした。多国籍メンバーで構成された私たちは、心身のタフさには自信を持っていたものの、今まで経験したものとはレベル違いの惨状に驚愕しました。そして当時、この紛争がここまで長期化する余地があるとは思いもよりませんでした。 今思うのは現地の人々のことです。自分も避難を強いられているのに、家族を亡くしているのに、患者さんを一生懸命治療していた同僚の医療スタッフ。心が折れていた私に「ユーコ! ユーコ!」とコールして元気をくれた子どもたち。みんなは生きているだろうか――。今でもよく思いをはせます。 MSFは他の団体がなかなか入れない紛争地や遠隔地で緊急医療援助活動をすることが多々あります。そして医療活動とともに、現地で目の当たりにした人道危機の現実を社会に訴える「証言活動」も、MSFの使命です。活動をしている地域から追い出されないように気をつけながら「モノを言う」ことは難しく、また人道援助が政治的に利用されてしまう状況でのジレンマにたびたび直面します。1年前も、そして現在も、ガザではそれは特に顕著だし、悪化していると感じています。