「祭りがしたい」液状化被害の街で立ち上がった青年 進まない復興、抱える不安拭えず
テレビ金沢
元日の能登半島地震。穏やかな街並みは一変し、各地で甚大な被害に見舞われた。あれから一年。能登の被災地は今も連日メディアに取り上げられているものの、日々の取材では「なぜ能登ばかり」との声が聞こえてくる。 歯がゆい思いを抱えていたひとりの青年がいた。橋本謙介さん(23)が住む街は能登半島地震の震源からおよそ100キロ離れた石川県内灘町の西荒屋地区。元日の地震では深刻な液状化被害が襲い、道路は上下に波打ち、至る所で建物は傾いたままとなった。具体的な復旧の見通しは立たず、住民たちは街を離れていった。 元の暮らしを取り戻すために、橋本さんたちは動き出す。 【写真】道は歪み家は傾き 液状化被害の町“内灘”
うねる道路、噴き出す水や砂
「噴水みたいに水も砂も出てきて、道路もこんなんじゃなかった」 今年の元日、内灘町の住民たちは地震の揺れと同時に液状化現象に見舞われ、恐怖を抱いていた。県都金沢のベッドタウンとして発展してきた内灘町。能登半島地震で観測された揺れは震度5強。激しい揺れとともに地下から水や砂が噴き出し、家は沈み、道路はうねり始めた。内灘町西荒屋地区ではおよそ4割の建物が応急危険度判定で「危険」と判定され住めなくなり、およそ1割の住民が町を離れていった。 今年6月。そうした事態に危機感を持った住民たちは自主的に復興委員会を立ち上げ、町をどう再建していくか話し合いを続けることとなった。そこには20代ではただひとりの橋本さんの姿があった。
進まぬ復旧 「祭り」開催かなわぬ現状
「こんなところ誰も住もうと思わない」「もうちょっと現実を見た方がいい」 2時間近くに及んだ話し合いでは町の将来に不安を抱く声が数多く上がった。 「ちょっといいですか」 話し合いの終盤、最後に手を挙げたのは橋本さんだった。 「子どもたちが祭りしたいって言っている…」 橋本さんには祭りに対する並々ならぬ思いがあった。西荒屋地区でおよそ170年受け継がれてきた秋の祭礼。子どもたちが笛や太鼓の音とともに演舞を披露しながら朝から晩まで町内を練り歩く街の大切な神事だ。橋本さんは幼いころからこの祭りが好き。伝統を途絶えさせまいとする思いと、子どもたちに伝えたい祭りの楽しさ、そして街に活気を。そんな思いを込め祭りの開催を懇願した。 「人が少なくなっていっているけど、ここでやめたらもう一回やるのが難しくなる」 そんな危機感が橋本さんを動かした。 しかしほかの住民からは厳しい声が上がる。ひび割れゆがんだ道路、傾いた家々が並ぶ町内で祭りを開催するには危険が伴う。地震から半年がたったこの日。役場からは具体的な復旧方法も、期間も、何も示されておらず町はほとんど手つかずの状態だった。 「祭りなんて無理に開催しなくてもいいのでは」 一部の住民は口々にそうこぼした。町の復旧の遅れが祭りの開催を阻もうとしていた。