「祭りがしたい」液状化被害の街で立ち上がった青年 進まない復興、抱える不安拭えず
復興へのヒントは行政と住民の「対話」
復興へのヒントは千葉県浦安市にあった。2011年の東日本大震災では市内のおよそ8割が液状化し、建物は傾き、町中には噴き出した土砂にまみれていた。当時は多くの住民が町を離れていったという。 あれから13年―。きれいに舗装されたアスファルト、新築の住宅も数多く並んでいた。震災当時に復旧作業にあたった浦安市道路整備課の河本聡親さんが重視したのは「スピード感」と「住民との対話」だった。市内の多くで市が管理する道路と民間の宅地の境界線が入り混じり、法的な境界線を定めないまま建造物の復旧を進めることは困難を極めた。市は、復旧作業の妨げとなっていた境界が複雑な道路と宅地の間に、市が管理する「余白」を作り、宅地の復旧を優先させ、住民説明会や勉強会を10年で170回ほど積み重ねた。 「住民の皆さんは事業の当事者になる。スタートから共同で事業を進めることが大切」 河本さんはそう語気を強め、行政と住民が知恵を出し合い、手を取り合って成し遂げた復興だと話す。
道半ばの復興 ぬぐえぬ不安
「砂利引いてあるだけ、早くしてくれって思う」 橋本さんは一時的に砂利で舗装された道路を見てそうこぼした。 財政規模は異なるものの浦安市と同じ課題を抱える内灘町西荒屋地区。浦安との違いは「住民との対話」にあった。あの日からまもなく1年。ようやく水道が通ったという人も少なくない。町が主体となった住民説明会は未だ3回しか開かれておらず、住民からは当然不満の声が上がる。また、内灘町では地盤改良工事や液状化対策工事など町の再建に関わる事業方針が定まっておらず、長期の事業期間が想定されている。 町はいつ元に戻るのか、離れた人たちは帰ってきてくれるのか、来年も祭りはできるのだろうか。住民らはぬぐい切れない不安を抱えている。それでも橋本さんだけは違った。 「町が何もしないからって受け身にはなりたくない。自分から何かしないと」 橋本さんはまっすぐに町の未来を見つめ、再び穏やかな日常が戻ってくることを信じ前を向く。