あの頃、俺たちはハングリーだった 『劇映画 孤独のグルメ』公開記念・松重豊×甲本ヒロト特別対談
12年続いたドラマを映画化した理由
――今回の映画は12年間続いてきたドラマを包括する内容でもあり、松重さんは監督・脚本を務められました。ドラマと映画の違い、作る上での難しさはありましたか? 松重: 12年前にテレビ東京の深夜ドラマとして始まった頃は、アジアを含めたお客さんを巻き込んで、これだけ愛されるものになるとは夢にも思いませんでした。ただ、続けていく難しさもあって、ここらで一度大きく風呂敷を広げなおして、映画にするのがいいんじゃないかと思ったんです。とはいえ、映画にするだけの内容のドラマじゃないことは十分承知していましたし、映画にするとなると相当な力技が必要だろうと、最初はポン・ジュノ監督にお願いしたんです。残念ながら、スケジュールは合いませんでしたが、「映画の完成を楽しみにしている」と。 ――ポン・ジュノ監督の『孤独のグルメ』! 松重: なんとなく脚本を書きつつ、ドラマを踏襲しながら映画として面白くするにはどうすればいいかを考えまして、ドラマ版の延長というより劇映画として完成させようと。原作が好きな人も、テレビシリーズが好きな人も、全然違うアプローチで観ていただけたらいいなと思っています。(甲本さんの方を見て)昔の俺とは思えんやろ? どっかでふざけようかと思ったけど、ちゃんとせにゃいかんのよ、監督は。 甲本: 昔からちゃんとしたところもあったんよ。それが今日は1日ずっとちゃんとしとる。 松重: 俺もチャランポランでいたいんだけどさ。そうはいかないんだよ。
一時は封印していた映画監督の夢
――松重さんがついに夢を叶えたことについて、甲本さんはどのように思っておられるのでしょう? 甲本: この人は何も変わっていないんだなってことが確認できた。出会って、仲良くなるのが異常に早くて、「(東京に)何しに来たん?」って話になって、僕は「バンドやりにきた」、豊は「俺は演劇に携わって映画作りたい」と言った。お互いに今もそれしかやっとらんし、あの頃から何も変わっとらん。 松重: そう言ってもらえて本当に嬉しいし、今回のことは感無量です。40年前にヒロトと一緒に作った映画があるんですけど、僕が不甲斐ないせいで完成にいたらなかったから。 甲本: あれは、脚本家が途中でスキーに行って、骨折したのもあったから。 松重: やけど、ヒロトに申し訳なくて、「監督をやるなんてことはもう言わない」って思ってたの。封印してた。だけど、還暦過ぎて、(監督)やってもいいかなと。それなら絶対ヒロトに音楽をやってもらいたかったから、手紙を書いたんです。