「突如この世を去った従兄弟」の葬儀に、親しかった72歳男性が呼ばれなかった「本当のワケ」
私は葬祭コーディネーターとして、葬儀社で働く従業員の育成に努めています。そのため、一般の皆さまから葬儀費用などにまつわる相談を受けることがあります。 【マンガ】5200万円を相続した家族が青ざめた…税務署からの突然の“お知らせ” 今回、ご相談いただいた内容は、とても辛い気持ちになるものでした。大好きだった故人の見送りの場に呼ばれなかったという、ある男性のご相談でした。どのようにして差し上げるのが最善なのか……、考えさせられる心境になったことは事実です。 この記事では、その詳しいご相談内容を綴ってまいります。
従兄弟の骨も拾ってやれないなんて…
相談にこられたのは故人の従兄弟にあたる男性で、お名前は杉山欽二さん(72歳、仮名=以下同)。故人さまは、杉山庄太郎さん(75歳、仮名=以下同)。欽二さんには都内の喫茶店でお目にかかりました。ここからは彼が話した内容になります。 3年前に、欽二さんにとって、かけがえのない存在である従兄弟が亡くなられたとのこと。その連絡を電話で受けている間にショックは膨らむばかり。急いで北海道に行く支度をしなければと、頭の中はもう混乱され、そう考えているそばから膝には力が入らなくなり、倒れ込んでしまわれたと言います。 「実は、私が67歳のころでした。生まれ育った故郷である北海道でひとり暮らしをいたのですが、大阪に住む子どもたちが一人暮らしを見かねて呼んでくれたのです。引っ越したくはなかったのですが、最期は子供に世話になるしかないと、泣く泣く大阪に行きました。私の妻は若いときに亡くなっていましたからね……。仕方ないですよね」 住まいが北海道から大阪という距離になると、遠いな……、と感じる日々が続いたそうです。物心がついた頃から常に一緒だった大の仲良しの庄太郎さんに、引っ越してからなかなか会うこともなくなってしまい、時々、長電話をすることが楽しみのひとつだったと言われます。 元気だったはずの庄太郎さんの訃報を、突然の電話で聞かされたときの欽二さんの頭の中では、「申し訳ない」という思いが堂々巡りしたのです。稀にしか会っていなかったことを、心の底から悔やんだと。「俺が悪い!」そう自分を責める言葉が何度も発せられました。 ひとしきり涙を拭われてから、こう言われたのです。 「私らって庄太郎にとって何だったのだろうか……。そう思う出来事が起きたのですよ。 庄太郎の家族から『見送りにはこないでほしい』と言われましてね。そんなことを言われた私らは、どんな気持ちになると思いますか? 初めて経験するやり場のない思いでしたよ。私たち親戚の誰も会えなくて……。文句の一つも言いたくなるでしょ? 骨も拾ってやれないなんて……。 年月が経つにつれ、庄太郎の人生の意味とは何だったのか? こういう終わり方をすることになっていたのか? そんないろんなことを考えていると、いたたまれない気持ちが大きくなるばかりで……。亡くなった当初は精一杯に堪えましたが、今でもやはり納得がいかないのですよ……」 そう話しながら、涙が止まることはありませんでした。