「突如この世を去った従兄弟」の葬儀に、親しかった72歳男性が呼ばれなかった「本当のワケ」
甥が明かす「本当のこと」
欽二さんがさらに話してくれたところによると、甥っ子である明彦さん(31歳、仮名=以下同)が、こう諭されたそうです。 「親戚であっても……、言えない事情があったのかもしれない。普通ならここまでは拒まないはずだから」 そう言われると、想像もつかない何かがあったのかもしれないと思い直した欽二さん。明彦さんに言われたことも一理あるかもと思ううちに、庄太郎さんのご遺族からの強い要望で身内のみんながお葬式には行けず、やがて3年が経ったというわけです。 しかしその後、私は衝撃な事実を知ることとなりました。欽二さんと話していると、若い男性が店内に入ってこられ、同席されたのです。その人こそが、欽二さんの言っていた甥の明彦さんでした。今回の相談においても、彼が欽二さんを東京まで送ってくださった経緯がありました。 明彦さんは、息をする間もないほどに話し続ける欽二さんに、「レストルームに行って思い切り泣いてから、顔を洗ってきたほうがいいよ」と優しく背中をトントンとさすられたのです。欽二さんも、信頼している甥の言うことはとても素直に聞き、レストルームに向かわれました。 すると、明彦さんは今のうちに! と言わんばかりに、「伯父には言えないことなのですが、安部さんには伝えておきたいことがあります」と、庄太郎さんのお葬式などについて打ち明けてくれたのです。 その内容をまとめると、じつは庄太郎さんは欽二さんと離れてから時間を持て余し、ギャンブルにお金を使い始めたのだとか。そのうち、認知症にもなってしまい、しかし家族はそのことに気づかず、言い争うことも増えました。最後は「屁理屈ばかり言う、だらしない人」として、他の家族からは疎遠な存在になっていたそうです。 庄太郎さんが亡くなられたときも、徘徊しているときに……、排水溝に落ちて暫く見つからずにいたのです。認知症だと認識していなかった家族は、徘徊ではなく散歩だと思っていたらしいのも、また哀れなことで……。 「伯父が苦しかったろうにと、その状況を思うと悔し涙が止まりませんでした。見つかったときは、排水溝で数日が経っていたというのです。親戚にも見せられない状態だったと聞かされました」 庄太郎さんはそのようにしてこの世を去ったのです。このことを知るだけでも欽二さんは自分を責めてしまっていたことでしょう。 * * * 庄太郎さんの最期にはそのような秘められた事情がありました。さらに彼の葬儀自体についても、衝撃の出来事があったのです。詳しくは後編記事〈72歳男性が号泣…「突如この世を去った従兄弟」の悲しすぎる最期とは? 彼を救った「優しい嘘」〉でお伝えします。
安部 由美子(一般社団法人日本葬祭コーディネーター協会代表理事)