韓国の尹大統領が時代錯誤的な「非常戒厳」で“墓穴を掘る”に至った理由
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は12月3日夜、「非常戒厳」を宣言し、いっさいの政治活動を禁じるなどした。これをうけて軍隊や警察隊が出動し、ソウルにある国会議事堂を制圧しようとした。 【画像】1980年、光州市での戒厳令に対する大規模な抗議運動 4日未明、国会議長による緊急会議の召集に応え、議事堂に何とか入り込んだ与野党の議員190人全員(定数は300)の賛成により、非常戒厳の解除を要求する決議案が可決。 法により、大統領は国会の決議に従わなければならず、尹大統領は4日午前4時半、国会の要求を受け入れ、非常戒厳を解除すると発表した。 尹大統領は、野党支配の国会に対して不満を募らせており、それが政府を痲痺させていると主張して、今回の動きに出たとされている。 韓国で非常戒厳が発布されたのは、軍事独裁政権下の1980年以来のことだ。民主化後にふたたびこの言葉を耳にする日が来ようとは、と韓国社会に衝撃が走ったのも無理はない。 英紙「ガーディアン」は、尹大統領が以前から独裁主義へのノスタルジアを抱いてきた節があると指摘する。 今回の非常戒厳も、韓国の政治的スペクトラムの少なくとも一部には響くと考えたのかもしれないが、彼は計算を誤ったようだと同紙は分析する。 だが、英ケンブリッジ大学で日本・朝鮮半島研究を統括するジョン・ニルソン・ライトは同紙に、これは独裁主義的なリーダーシップへのノスタルジアではなく、尹の人格を反映したものだろうと反論し、こう語る。 「政治的な勢いはすでに大統領から消え去っていました。それゆえに、彼はこんな動き方に出たのかもしれません。しかしそれは無謀であり、ひどく見当違いの決断であり、私は裏目に出たのではないかと見ています」
COURRiER Japon