『虎に翼』岡田将生さん演じる航一が隠してきた<秘密>。そのモデル・三淵乾太郎らは「ソ連参戦で敗戦」とまで予測するも開戦を止められず…そのまさかの理由とは
◆もうやることに決まっていたようなものだった 『昭和16年夏の敗戦』の著者、猪瀬直樹氏は直接この鈴木氏にインタビューを行っている。 *** 「とにかく、僕は憂鬱だったんだよ。やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ」 ――「やる」「やらん」ともめている時に、やる気がない人が、なぜ「やれる」という数字を出したのか。 「企画院総裁としては数字を出さなければならん」 ――「客観的」でない数字でもか。 「企画院はただデータを出して、物的資源はこのような状態になっている、あとは陸海軍の判断に任す、というわけで、やったほうがいいとか、やらんほうがいいとかはいえない。みんなが判断できるようにデータを出しただけなんだ」 ――質問の答えになっていないと思うが、そのデータに問題はなかったか、と訊いているのです。 「そう、そう、問題なんだよ。海軍は一年たてば石油がなくなるので戦はできなくなるが、いまのうちなら勝てる、とほのめかすんだな。だったらいまやるのも仕方ない、とみんなが思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せ、そういうわけなんだな」 ***
◆「データより空気」 数字というものは客観的に見えるが、その数字を作るのはあくまで人間である。 鈴木氏の出した数字は「客観的」ではあったが、その見せ方は「空気」を読んで演出されていた。そんなまやかしのデータにすがる形で、日米開戦は決定的となった。 そのとき、「総力戦研究所」の出したシミュレーションを思い出した者はいただろうか。 もしかしたら、いたかもしれない。しかし、閣僚たちが集まるなか、30代の若手が机上で積み上げた議論を持ち出して「できない」などと言える雰囲気ではなかったのではないか。 求められていたのは「開戦できる」という結論と、それを支える数字だけだった。 「データより空気」、まさに現代の日本でもよく目にする過ちが、日本最大の悲劇を招く結果となったのである。 ちなみに、このインタビューが行われたのは、鈴木氏が93歳のときである。対する猪瀬氏は当時35歳。 鈴木氏の耳が遠いため、質問はすべて画用紙に書かれたが、鈴木氏の記憶力と分析力は目をみはるものがあったという。 41年前の記憶をはさんで相対する、戦前生まれと戦後生まれの二人。なんとも印象的なこのインタビューの詳細は、ぜひ本書を読んでほしい。
◆日本の敗戦は過去の話ではない なお『昭和16年夏の敗戦』が単行本として発売されたのは1983年のことである。 それ以来、文庫化を経ながら、日本的意志決定の欠陥を指摘する名著として、折りにふれ話題になってきた。 2020年以降、新型コロナウイルス流行の衝撃が世界を覆っている。 本書の「新版あとがき」で著者は、日本におけるコロナウイルス対策についても、戦前と変わらぬ日本的な意思決定がなされていると指摘している。 かつての敗戦は、決して過去の話ではない。本当の意味で歴史に学ぶことができなければ、私たちの「敗戦」は終わらないのではないだろうか。
中公文庫編集部,「婦人公論.jp」編集部
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