スポーツカーの原点「メルセデス・ベンツ SL」70年の輝かしい歴史
特に、この230SL/W113は安全ボディを備えた画期的な最初のスポーツカーであった。230SLのフレームフロアシステムは、セダンの220/W111シリーズに由来している。そのフレームは全長を短縮し強化された。1959年、220Sb/W111(ハネベン)はメルセデス・ベンツの安全性のパイオニアであるベラ・バレニによって開発された衝撃吸収式構造と堅牢な客室を備えた安全ボディを備えた世界初の乗用車であった(モノコック)。1960年には安全性のテストが拡大され横転テストも含まれた。そこで、このパゴダは前後の衝撃吸収構造と堅牢な客室を備えた安全な最初のスポーツカーといわれる所以である。時は1939年、世の中に概念すらなかった「自動車の安全性」の研究に着手し、ドイツ・ジンデルフィンゲン工場の一角で「エンジンよりも先に人間を」というモットーに多くの安全技術を開発したベラ・バレニの情熱と努力の賜物である(在籍34年間に2500件の特許取得)。
2代目SLの「230SL」がパーソナルカー的イメージを強くしたのは4速ATとパワーステアリングがオプションで設定されたことによるが、多くのユーザーが好んで両装備を選択した。特に女性ユーザーからの支持を得て順調に販売を伸ばしていった。手元にある280SLカタログに目を通してみても表紙はもちろん赤をベースとし、オーナーは女性ユーザーで、赤いボディカラーが印象的である。これは硬派の300SL後継車(シルバー)として、驚異的な事である。
忘れてならないのは、この230SLがモータースポーツでも成功した事である。1963年8月27日から31日かけて行われたスパ-ソフィア-リエージュの5000km以上のマラソンラリーで、名手オイゲン・ベーリンガーとクラウス・カイザーが獲得した勝利は目覚ましいものであった(翌年も3位を獲得)。
W113のモデルレンジは1967年の2.5L、150PSエンジンを搭載し全輪ディスクブレーキを装備した250SLに移行し、さらに翌年の1968年には2.8L、170PSエンジンを搭載した280SLへと進化した。1971年3月、W113は合計4万8912台生産された後、生産を終了した。内訳は230SLが1万9831台、250SLが5196台、280SLが2万3885台だった。