「どの試合も彼にとってはワールドシリーズ第7戦だった」故ピート・ローズが永久追放後もファンから愛された理由<SLUGGER>
73年は打率.338で3度目の首位打者となり、MVPも受賞。75・ 76年はレッズを2年連続世界一導いた。78年は5月に史上13人目の3000本安打を達成、6月14日からは44連続試合安打のナ・リーグタイ記録を樹立した。 その年の秋には、親善野球でレッズの一員として来日。史上最高の捕手ジョニー・ベンチや、前年のナ・リーグMVP受賞者ジョージ・フォスターらスター揃いのチームにあっても、一番注目を浴びたのはヘルメットを飛ばしてヘッドスライディングを決めるローズだった。美津濃の契約選手として日本でも広告キャラクターに起用され、アメリカでは同社の製品を宣伝して回った。新記録となる4192本目のヒットを打った時に使っていたのも、美津濃の特製バット“PR4192”であった。 79年はフィリーズにFA移籍し、翌80年に球団初の世界一をもたらす。84年8月に監督兼選手としてレッズに戻り、翌85年9月11日にタイ・カッブの記録を破るヒットを放って“ヒット・キング”の座に就いた。だが、翌86年を最後に45歳で引退すると「新記録を達成して、俺には目標がなくなった。自分を熱くさせてくれるものが必要だった」。不幸だったのは、それがギャンブルだったことである。89年、コミッショナー事務局は調査の結果、ローズがレッズを含むメジャーリーグの試合の勝敗を賭けの対象にしていたと断定。8月に永久追放処分が決定した。 それでも99年には、ファン投票による「メジャーリーグ歴代ベストナイン」であるオール・センチュリー・チームに選出。資格を剥奪されているはずの殿堂入り投票でも、ローズの名前を記入する記者は絶えず、背番号14はレッズの永久欠番である。どんなに汚辱にまみれようとも、多くの野球ファンにとってローズはずっと特別な存在だった。 イチローのマーリンズ時代の監督ドン・マッティングリーは「子供の頃はローズのような選手になりたかった。メジャーリーガーになったときも、一塁に出塁した時はいつも気さくに話しかけてくれた」と言い、現役時代を知らないブライス・ハーパー(フィリーズ)も「彼のプレースタイルには尊敬の念を覚える」と語っている。球界以外にもファンは大勢いて、野球好きのロック歌手ヒューイ・ルイスは「あなたの音楽はローズのヘッドスライディングのようだ」と言われて「最高の褒め言葉だ」と感激した。 ローズに多くの欠陥があったのは事実だ。自分のチームを賭けの対象にするという、プロ野球の根幹を揺るがす真似をしたとあっては、永久追放も妥当だろう。だがそれでも、ローズの野球選手としての輝きまでは消えない。ベテラン記者ティム・カークジアンは、追悼記事においてこのように表現している。「彼は偉大な選手であった。彼以上に懸命にプレーした者はいない。人生において多くの過ちを犯したが、それでも彼は“ピート・ローズ”であることを楽しんでいたのだ」。 文●出野哲也 【著者プロフィール】 いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
【関連記事】
- 「打てない理由を考えるのは大事っしょ? 考えるのをやめたら終わりでしょ」――ニコニコ笑顔の下でいつも必死だったメジャー時代の青木宣親<SLUGGER>
- 過去10年でリーグ最高勝率同士のワールドシリーズは1回だがワイルドカード対決は2回...MLBのポストシーズンは“下克上”が当たり前<SLUGGER>
- ドジャースは本当に“短期決戦に弱い”のか?――プレーオフと「運」の厄介な関係――<SLUGGER>
- 「シーズン0勝11敗」の高橋光成を凌駕する男がメジャーにいた!「通算0勝16敗男」テリー・フェルトンが歩んだ黒星街道<SLUGGER>
- 「マウンドに上がるまですごく恐怖心があって、足もガタガタ震えてました」今永昇太が語る“日本人対決の舞台裏”と大谷、山本へのリスペクト<SLUGGER>