横尾忠則の名言「言葉が頭を支配している間は絵が描けても…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。鮮やかな色遣い、大胆な構図、一度見たら忘れられない作風の美術家・横尾忠則。美術家としての活動と並行して、多数のエッセイや書評などの文章を発表してきた横尾が語った「言葉」について。 【フォトギャラリーを見る】 横尾忠則と言えば、世界各国の美術館で個展を開催し、兵庫県には〈横尾忠則現代美術館〉がある画家として知られる。画家として活動を始めたのは1980年、横尾46歳の時だ。ピカソの展覧会を見て衝撃を受け「画家宣言」をした。画業がよく知られる横尾だが、実はエッセイを多数執筆したり、小説を発表したり、新聞社の書評委員を10年以上務め書評集を出版したりと、「言葉」の世界でも才能を余すところなく発揮している。 書評委員を務める人物とあらば、よほどの読書好き、本の虫だと思うだろう。しかし、横尾は本が一冊もない家に育ち、親からは読書をせよなどと言われたこともないという。しかし、それをコンプレックスに思っていたかというとそうではなく、「中学二年生の時、江戸川乱歩と南洋一郎の少年向けの小説を三、四冊読んだきりで、三〇歳になるまで読書を必要とする生活とは無縁の人生を送ってきた」。本を読まなかった少年は、数冊の本から空想の世界へと羽ばたくことを知った。漫画本の模写や映画ポスターの模写、虫や動物の写生画を得意とした子ども時代だった。読書こそしていないが、観察をして描くという肉体的な体験は、横尾少年の中に貴重な経験として積み重なっていった。 その後、上京し日本デザインセンターに入社。グラフィックデザイナーとして活躍する。興味は映画や演劇、現代美術へと広がっていった。興味の赴くままに様々な本を読んだ。この頃から横尾は、その後も続く趣味となる「買書」を始める。哲学書も批評書も画集も同じように買って所有するのだ。 買うという行為を通さなければ、読書の入口に到達したことにならないのです。本を手に取って装幀を眺めたり、カバーを取りはずしたり、開いた頁の活字に目を落としたり、時には匂いをかいだり、重量を感じたり、目次とあとがきと巻末の広告ぐらいは読みます。そして本棚に立て、他の本との関係性を楽しんだり、その位置を換えてみたりしながらその本を肉体化することで本に愛情を傾けていきます。 その後、横尾は会社を辞め、精神世界に傾倒し本にのめり込んでいったかというとそんなことはないが、読書嫌いから本に囲まれた生活をするようになった。自伝や伝記を読むのが好きになり、60代以降に『ロビンソン・クルーソー』や『海底二万里』、『アラビアンナイト』といった少年文学を読み始めたり、70代を迎える頃、老いに関する本を読み始めたりする。とはいえ、言葉とは一定の距離を置いてつきあっているようである。 言葉が頭の中で戯れている間は無心にはなれません。言葉の支配から完全に離脱して初めて絵が描けるのです。言葉が頭の中から消え、肉体が発する言葉のみに耳を傾ければいいと思うのです。言葉が頭を支配している間は絵が描けても、魂は描けないと思います。 読書をするのはいいことだと言う人はたくさんいるが、言葉を信用していないという横尾が人生の節々でどうやって本と接し、どう考えてきたかに触れると、読書の概念すら揺らぐことがわかる。
よこお・ただのり
美術家。1936年兵庫県生まれ。世界各国の美術館で個展を開催、2012年神戸市に〈兵庫県立横尾忠則現代美術館〉、13年香川県に〈豊島横尾館〉開館。近年の個展に『寒山百得』(東京国立博物館表慶館、2023年)。
photo_Yuki Sonoyama text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi ...