年間売上は「社員1人の年収くらい」父の会社はどん底だった… 経営を引き継ぎ、建て直した元シャープ社員「ダメな社員を見限ったらダメ」
◆今、継がなければきっと後悔する
――シャープで活躍していたのに、なぜ家業を継ぐことになったのでしょうか? そのころ、弟から実家の会社が非常に悪い経営状況であると聞いていました。 父は不安を酒で紛らわすような暮らしをして、体を悪くしていました。 このままではおそらく会社はつぶれる。 でも、仮に自分が会社を継いだとしても、うまくいくとは限らない。 シャープにいれば、高給で将来も安泰です。 ずいぶん悩みました。 ――家業を継ぐ決断をした理由は? やはり、父は1人だけなので、死んだら終わりです。 今、自分ができることをして父を支えなければ、必ず後悔する。 そんな後悔だけはしたくない、という気持ちが一番強かったです。 そのときに、親友の父親が言ってくれた「中井君だったらやれるよ」という一言に背中を押され、会社を辞めて実家に戻ることを決めました。 東京に出てから丸3年が経ったころでした。
◆年間売り上げ「社員1人分」
――実家に戻って、会社はどのような状態でしたか? 経営は、考えていた以上に厳しい状況でした。 負債こそないものの、年間の売り上げが社員1人の年収分ぐらいしかありません。 とても私が給料を受け取る余裕はないので、昼間は家業、夜は別のアルバイトに出ていました。 日中はとにかく仕事を増やそうと、あちこち営業に回りました。 営業は大好きですから、デスク作業に比べれば苦になりません。 手始めに、大学の友達が就職した会社に営業して、さらに紹介を受けたりして、そのうち不動産広告の仕事がたくさんもらえるようになり、売り上げは上昇しました。 ――経営状況は上向いていったのでしょうか。 借金を返済する必要があったので、やっぱり利益は出ませんでした。 しかし、がんばっている社員に給料を出さないわけにはいきません。 父は借金を恐れるタイプでしたが、私は国の制度融資などをためらわずに活用し、借金でやりくりしていました。 一時は借金8000万円程度まで膨らみ、返すのが精一杯。 好調だった不動産関係の広告の仕事も、バブルの崩壊後は途絶え、苦しい状況が続きました。