年間売上は「社員1人の年収くらい」父の会社はどん底だった… 経営を引き継ぎ、建て直した元シャープ社員「ダメな社員を見限ったらダメ」
1896(明治29)年に創業した大阪・梅田のセントウェル印刷株式会社。自社で印刷機を持たずに外注するスタイルで幅広い種類の印刷物のデザイン・制作をできるのが強みだ。創業者のひ孫にあたる代表取締役会長の中井利夫氏(73)は、大手メーカー社員から従業員10人に満たない家業に戻り、ネット黎明(れいめい)期に独学でホームページを立ち上げ、経営を立て直した。中井利夫氏に、家業を引き継いだ経緯を聞いた。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆家業に縛られたくない、シャープに入社
――家業を継ぐという意識は小さいころからありましたか? 私が子どものころ、父は大阪・船場に小さな家を買って会社を営んでいました。 家族は上階で暮らしており、私と弟(中井三夫・現社長)はそこで育ったのです。 父の仕事を日々見ながら、「長男の私はいずれこの会社を継ぐことになるのかな」と思っていました。 ――にもかかわらず、大学卒業後に大手電機メーカー「シャープ」に就職されたのはなぜですか? 当時の日本は景気もよく、企業がどんどん海外進出をしている時代で、「自分も世界で活躍してみたい」という気持ちが芽生えていました。 かたや、父の仕事はあまりうまくいっていない様子で、そんな家業にずっと縛られることに、大きな抵抗を感じたのです。 就職活動も売り手市場で、いくつか大手企業に内定をもらい、世界にはばたこうとするメーカーを選んだのです。 1972年のことでした。
◆営業がぴったり、やればやるだけ売れた
――シャープ入社後はどのような仕事をしていましたか? 私はとにかく家から離れたい、遠くに行きたいと思っていたので、配属は北海道か九州の営業所を希望しました。 結局、東京に配属が決まり、広報部に配属されました。 入社1年目から、経団連に行って新製品の記者発表をするのが主な仕事でした。 ――そこからどのような経緯で営業担当に転身したのですか? 入社して1年経った頃、家電不況の波が襲い、社内で人事や広報のような間接部門を縮小して営業や製造に人を回す動きがありました。 広報部の仕事に物足りなさを感じていた私は、ここぞとばかりに営業職を希望しました。 電卓を販売する子会社に出向となり、秋葉原の家電店で営業をしたのですが、性に合っていたようです。 やればやるだけ売れて、営業成績で表彰を受け、非常にやりがいを感じていました。