生死の境をさまようバイク事故でラーメン作りを決意 茨城の人気店『自家製ラーメン アイリー』の店主、ラーメンに捧げた20年の軌跡を追う【TRYラーメン大賞全国版】
「経営者のつもりで店に立て」、25歳で「初店長」
その後入ったのは、当時から行列店として名を馳せていた『カラシビ味噌らー麺 鬼金棒(きかんぼう)』(東京都千代田区)だ。 『鬼金棒』では初めて店長を任された。代表の三浦正和さんの「経営者のつもりで店に立て」という教えに、責任感を持つことの大切さを学んだという。
米サンフランシスコでラーメン作りを経験
さらに鴨志田さんの視野を広げたのが、2010年頃に入った『MENSHO』(東京都文京区)だ。同店に惹かれたのは、世界にラーメンを広げているトップランナーだったから。 「『MENSHO』時代はアメリカ・サンフランシスコで1カ月、ラーメンを作る経験をさせていただきました。お客様がいきなり厨房に入ってこられて、ニューヨークから食べに来たんだ!感動した!とハグされたんです。やはり日本のラーメンは世界一で、誇りを持って取り組める仕事だと実感しました」
父の突然の死が背中を押した
その後、2018年に入社したのが、『銀座 八五』などの人気店を擁する『中華そば 勝本』グループ。ミシュランに掲載されるなど、ラーメンをより料理として昇華しているところに魅力を感じた。しばらくして東京・水道橋店の店長を任され、3年目には統括部長として現場に出ながらシフト管理や商品開発などにも携わり、順風満帆に過ごしていた。しかし、2022年2月、突然の自宅待機を命じられる。 その最中、2月28日に鴨志田さんの父が急性心筋梗塞で倒れ、3月1日には66歳の若さで帰らぬ人とった。母が一人、実家に残されていたため、『勝本』を退社し、地元に戻り、自分の店を持つことを決意したという。 「東京では毎日飲んでいたので貯金はなくて、開業資金を集める苦労などの不安はありましたが、父が他界した3日後には今の物件を押さえていました」 実は、高萩市は茨城県で人口が一番少ない市だ。 「この場所は何をやっても続かない通りと言われている空き物件で、タクシーの運転手や市の商工会にも、良くない場所ってわかっている?と言われました。不安もありましたが、努力や勉強はしてきましたし、自分なら出来るんじゃないか、逆境のほうがやりがいあると、ワクワクしたことを覚えています」 さまざまな名店のDNAを引き継ぎつつ、信念と自信を持ち進む『自家製ラーメン アイリー』。 「勉強しても勉強しても飽きることがないですし、正解がないところがラーメンのおもしろさです。店主、お客様共に好みがたくさんありますが、うちを気に入ってきてくださるお客様の中で一番になれたら、ある意味、世界一を目指せるのかなと思っています」 地元の老若男女に愛される味と自身のやりたいことのバランスを探りながら挑戦を続ける。今後がますます楽しみな1軒だ。 ■『自家製ラーメン アイリー』 住所:茨城県高萩市赤浜1312-1 電話:080-6521-1562 営業時間:平日11時~14時(L.O.)、土・ 日・祝11時~14時50分(L.O.)、土17時~19時30分(L.O.) 定休日:月(祝日の場合は翌日休) 交通:JR常磐線南中郷駅から徒歩約25分